ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/381/

写真花嫁として渡米した祖母(英語)

(英語)60人の写真花嫁を乗せた船がシアトルに入港してから13日後のことです。祖母の話によると、花嫁たちはまだ見ぬ未来の夫の写真を手にし、いっせいに船の前方に走り寄ったそうです。そして彼女たちは陸にいる未来の夫たちを指差し、自分の夫となる人を見分けようとしていたのです。そして男たちも、妻となるべく人の写真を持ち、陸地から同じようなことをしていたそうです。

興味深いことに、祖母がつけていた日記にはその後2週間、祖父については何も触れていないのです。でも祖母は、シアトルでの生活をどう感じ、シアトルがどんなに興味深い土地か、町のことについては実に多くのことを記していました。でも家族のことになると、祖母はいくらかがっかりしていたようです。祖母がセイビ(夫ヨシトミの兄)から聞いていた弟像と本人が、彼女にはかけ離れているように感じたのです。私の記憶が正しければ、祖母はがっかりしたことを告白していましたが、でもその後すぐ祖父に対する見方は変わり、祖父は彼女の期待以上に最高に素晴らしい人になったそうです。祖母は、祖父を完全に尊敬するようになっていました。

もし完璧な母系家族があったとすれば、それは祖母の家族だったと思うくらいです。私は、祖父が祖母を非難するようなことを言うのを一度も聞いたことがありませんしね。ある意味、祖父は祖母のしもべのようでもありました。でもそれは、日系二世の家庭には珍しいことでした。とにかく私の祖母は、アメリカに来てすぐに助産師の資格をとり、仕事を始めたのです。1912年か13年に助産師になった後、1938年までの間にアシスタントも含めて1千人以上の赤ちゃんを取り上げたそうです。


花嫁 写真花嫁 妻たち

日付: 2003年3月18・20日

場所: 米国、ワシントン州

インタビュアー: アリス・イトウ、マユミ・ツタカワ

提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project.

語り手のプロフィール

ロジャー・シモムラ氏の絵画・版画・舞台作品はアジア系アメリカ人の社会政治的な問題を題材にしています。これらの作品の多くは移民として渡米した故祖母が56年間にわたって綴った日記からアイデアを得ています。自作の絵画・版画の個展を100展以上も開催しており、ニューヨークのフランクリン・ファーネス、ミネアポリスのウォーカー・アートセンター、ワシントンDCのスミソニアン協会国立アメリカ歴史博物館などを拠点とし実験的な舞台作品を紹介してきました。また、教育者としても広く認められており、カンザス大学で特待教授(Distinguished Professor)になりました。さらに、アメリカ美術史学会は、4年間に渡る全米12の博物館で開催された巡回展『アメリカン・ダイアリー』の功績を称え、2001年に最優秀芸術作品賞を授けました。

シモムラ氏個人の書類などはスミソニアン協会アメリカン美術古文書館に保管されています。また、ニューヨーク.、シカゴ、カンザス市、マイアミ、シアトルのギャラリーで彼の作品を見ることができます。

*全インタビューはDenshō: The Japanese American Legacy Projectにて見ることができます。

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