https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/688/
初生雛鑑別師 (1923年生)
(英語) ホテルは鉄道路線付近にあって、そこはスポケーンで最もせわしない場所の1つだったんですね。そして鉄道は、渡り労働者と呼ばれる人々の通過点にもなっていたんです。でも彼らは貧しくて、ポケットの中に数ドルくらいしか持っていませんでした。僕ら一家が小さい家に住んでいたとき、彼らは家のドアをノックして、「薪を切ったり庭の掃除をする代わりに食事させてもらえませんか?」と訪ねて来たこともありました。渡り労働者はそういった人々で、彼らの多くは信用できる誠実な人々でした。当時の世の中は、ドアに鍵をかけることももちろんなく、寝るときもそのままでした。それでも十分安全だとみんなが感じられるそういう時代だったんですね。
日付: 2006年3月15・16日
場所: 米国、ワシントン州
インタビュアー: メーガン・アサカ
提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project
ジョージ・ヤマダ氏は、1923年ワシントン州スポケーンで生まれた日系二世です。同地には両親が経営するワールド・ホテルがあったため、幼年時代もそこで過ごしました。父親は(ホテル経営の他に)グレート・ノーザン鉄道で郵便係としても働きました。ルイス・アンド・クラーク高校、ワシントン州立大学に就学。戦争中、日系アメリカ人を乗せてワイオミング州ハート・マウンテンの収容所に向う電車が、スポケーンを通り過ぎていくのを見たのを覚えているそうです。1944年、陸軍に徴兵され、ミネソタ州フォートスネリングおよびカリフォルニア州プレシディオの陸軍情報部語学学校に従事しました。第2次世界大戦後は、ニューヨーク北部地方とその近郊で初生雛鑑別師(しょせいびなかんべつし)として30年間働き、1970年代半ばにスポケーンに戻り、不動産業に従事しました。現在は妻のスージーと共にスポケーンに住み、釣りに励んでいます。(2006年3月16日)