ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2023/6/19/azusa-matsuda/

日本のアニメと世界のファンをつなぐ — アニメ・エキスポの松田あずささん

アニメの吹き替えに関するパネルのモデレーターを担当(右端)

息苦しかった日本の生活

ダウンタウンのコンベンションセンターを会場に、毎年大々的に開催されているアニメの祭典、アニメ・エキスポ。その規模は北米最大、コロナ禍前の2019年7月に開催された同エキスポでは、4日間で実に35万人以上のアニメ・ファンを集めた。年を重ねるごとに拡大し、認知度を飛躍的に高めている感があるアニメ・エキスポだが、同組織でビジネスディベロップメント担当のバイスプレジデントを務める松田あずささんと知り合う機会があった。彼女がなぜアニメ・エキスポに関わることになったのか、強く興味を引かれた私は、松田さんの過去、現在、未来を取材させてもらった。

松田さんがアメリカに来たのは、日本の中学を卒業した直後、15歳の時だった。

「高校留学という形ですね。当時は個人留学をする人は少なかったし、インターネットの時代でもなかったので、高校へのアプリケーションを送るために、両親がファックスの機械を導入してくれました。なぜ、高校でアメリカに留学しようと思ったか?私は中学時代、周囲から浮いていて、日本の生活を息苦しく感じていたことから、アメリカでは一般的だと言われていた医療分野でのカウンセリングの仕事、つまり精神科医に就きたいと思うようになったんですね。

アメリカで勉強するにはいつがいいかと考えた時に、高校卒業後では英語を身につける点でも遅いと思い、両親に高校留学をしたいと相談し、まず中学2年の時に、サンディエゴで短期留学を経験しました。両親としては泣きながら帰ってくると思っていたようなのですが、私は余裕で(笑)日本に帰ってきて、これはもう絶対に留学するしかないと気持ちを固めました。私の意志があまりにも固かったので、親も同意してくれて、ファックスを買ってくれたというわけです」。

キリスト教系の中学に通っていた松田さんは、アメリカでもサンフランシスコ郊外の同じ教会の系列の高校に入学した。

「ロシアンリバーヴァレーにある素晴らしい環境の学校での寮生活が始まりました。アメリカ生活には割とすぐに馴染みました。期待していたのと違った点?例えば友達の家に遊びに行くと、おじいいちゃんやおばあちゃんが戦争時代のことに触れて、パールハーバーの話をしたりした時に、『あなたたちの国が悪かったから』と言われたことですね。でも決して攻撃的な言い方ではありませんでしたけど」。

ファンの感動、制作者の喜びがアニメ・エキスポのやりがい

高校卒業後には、当初目指していた精神科医になるために、帰国はせずにアメリカの大学に進学したが、20歳の時に結婚を通じて永住権を得ることができた。

「そのまま日本に帰るタイミングを失ってしまいました。そして、妹の大学進学の時期を迎えた時にその学費をサポートするために、私は高校から留学させてもらったこと、永住権が取得できたこともあり、大学は休んで働き始めました」。

そして、ロサンゼルスの日系旅行会社での勤務後、出産を機に仕事を辞めて育児に専念していた時に転機が訪れた。

「娘を日本語と英語のイマージョン教育の小学校に通わせていたのですが、その学校のクラスメイトのお父さんに『音響スタジオでバイリンガルの人を探しているから、どうですか』と声をかけていただいたのです。その頃、私もそろそろ働きたいな、と思っていたので、渡りに船でそのお話を受けました」。

サンディエゴのコミコンで通訳を務める松田さん(左から2人目)

音響スタジオでの仕事は、アニメの吹き替え版のポストプロダクションに携わるものだった。そこからアニメ・エキスポのスタッフとの交流が生まれ、さらにアニメ・エキスポへの転職の声がかかり、一時はスタジオとエキスポと両方で働いていた時期もあるという。

「アニメ・エキスポにフルタイムで働くようになったのは2015年からです。やりがいはすごく感じています。特にうれしいのは、日本のアニメの制作者の方々がアメリカのファンの方々が喜ぶ姿を見て、『これまで頑張ってきたかいがあった』と、思っていただけることですね。アニメ・エキスポのような場所がないと、海外でどれだけ受け入れられているかを実感するのが難しいのです。

会場でスクリーニングを開催して、ファンが泣いたり笑ったりしている反応を直に見ることで、『(アニメ制作の)励みになる』と制作者の方々にはおっしゃっていただきます。制作者の方々のやりがいにつながっていることが、私自身のアニメ・エキスポに携わるやりがいになっています」。アニメ・エキスポでの成功体験を経て、日本の制作側はより海外に目を向け、海外のファンを意識するようになってきたと松田さんは語る。このように、アニメ・エキスポは、日本のアニメの市場拡大を積極的にサポートしているのだ。

過去のアニメ・エキスポのオープニングの模様。来場者の熱気が伝わってくる。


末長く続くイベントに

今や日本のアニメ界とアメリカ市場の架け橋を務めている松田さんだが、日本とアメリカ、どちらに居心地の良さを感じるのだろうか。

「留学する前は日本が窮屈だと思っていました。でも、アメリカで33年暮らして、今では日本の良さが認識できます。人は自分の国を外から見ないと、客観的に見ることができないのだと思います。18歳の娘は日本にすごく興味を持っています。会話は日本語か?いえいえ、私もこちらが長くなってしまったので、会話はちゃんぽんです(笑)」。

最後に今後のビジョンを聞くと、「アニメ・エキスポの土台をしっかりと造って、60年、70年と続いていくイベントにしていくことが目標です。さらに、年に1回のエキスポだけではなく、いろいろな機会を作って日本のコンテンツを紹介していきたいと模索しています」。

日本に居心地の悪さを感じ、居場所を求めてアメリカ留学を志望した10代。そして、時を経た現在の松田さんは、日本のアニメをアメリカで大々的に紹介する仕事に携わることで、自分が自分らしくいられて、日本にもアメリカにも貢献できる居場所を見つけたようだ。

 

Anime Expo公式サイト:https://www.anime-expo.org

 

© 2023 Keiko Fukuda

執筆者について

大分県出身。国際基督教大学を卒業後、東京の情報誌出版社に勤務。1992年単身渡米。日本語のコミュニティー誌の編集長を 11年。2003年フリーランスとなり、人物取材を中心に、日米の雑誌に執筆。共著書に「日本に生まれて」(阪急コミュニケーションズ刊)がある。ウェブサイト: https://angeleno.net 

(2020年7月 更新)

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