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https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2023/9/25/christine-kubota/

ハワイの日系弁護士— クリスティーン・A・久保田さん

日系人を日本に連れて行くツアーガイドに

親が日本生まれの新一世は別として、日本語が堪能な三世以降の日系アメリカ人に出会ったことがほとんどない。子どもたちが通っていたガーデナの日本語学校で、娘のクラスメイトだった女の子は日系四世。父親が日系人で母親は台湾系アメリカ人だった。母親と立ち話をした時、彼女はこんなことを言っていた。

「夫が日本語を話せると思い込んでいたのに、彼は全く日本語が分からないの。だから日本語学校の宿題の指導は夫に任せれば大丈夫だって思っていたけど、彼はお手上げ。結局、いつも宿題を中途半端で提出しているのよ」。

日系三世の父親と娘の誕生会で話した時には、「自分が全く日本語を話せないので、せめて娘には少しは話せるようになってほしいと日本語学校に通わせているんだ」と。そう望む日系人の親は少なくないようだった。

現在はDamon Key Leong Kupchak Hastertの代表を務める。

しかし、一方で日本語を流暢に話せる三世以降の日系アメリカ人もいる。彼らは多くの場合、親のどちらかが日系であっても、片方が日本出身であるか、または親の仕事の都合で、日本で生活したことがある人たちだ。流れるような日本語を話す、ハワイの弁護士、クリスティーン・久保田さんはその両方。

日系二世の父親が米軍勤務で日本に滞在していた時に日本人女性と知り合い、クリスティーンさんが生まれたのだ。横浜で生まれて、サンモールというインターナショナルスクールに通い、学校や父との会話は英語だったが、母とは日本語で話していた。妹と話す時はバイリンガルで、いつも英語と日本語のミックスだったと振り返る。

「時々、自分でもどちらで話しているか分からなくなって(英語で話すべき時に)、妹『You、今、Japaneseを話しているよ』と言われたりしていました」。

高校まで横浜で過ごしたクリスティーンさんは、大学入学と同時に、父の故郷であるハワイに帰米。そして、在学中に、バイリンガルという能力を活かし、ハワイの日系アメリカ人を日本に連れて行くツアーガイドの仕事を始めた。

「当時、日系人はメインランドのラスベガスに行くのが大好きだったんですが、日本生まれの私としては彼らに日本を見て楽しんでほしかったんです。今ではラーメンは当たり前の日本食で、ハワイでも食べられるけど、当時から私は彼らを(日本の)ラーメン店に案内したりしていました」。

日本人投資家を守るために弁護士になる

さらにクリスティーンさんは、ツアーガイドを経て通訳の仕事を始めた。その仕事の中で彼女は大きな転機を迎えることになる。

「日本から来た人たちがハワイで投資をしたけれど、だまされてしまったというケースが多く、英語を話す弁護士と日本語を話す依頼人との間で、私のような通訳が必要だったのです。弁護士事務所や裁判所に出かけていって働いていましたが、日本人の依頼人が裁判で負けてしまうととても悔しくて、弁護士さんに『なんで負けちゃうんですか!』と言ったことがあったんですね。そうしたら、『君が弁護士になればいいのでは?』と言われたのです」。

すでに30歳になっていたが、投資でだまされた後に弁護士に依頼するよりも、早い段階から日本語で相談できる専門家がいればだまされるリスクも減るに違いないと、日本人投資家たちのために奮起したクリスティーンさんは、ロースクールに進む。「日本人は投資する時も『全てお任せします』と相手を信じきってしまうんですね。それではいけないのです」と、日本生まれ育ちで日本人の特質を熟知している彼女の気概は、「自分が彼らを守らずに誰が守るのか」というほどのものだったに違いない。

進学したロースクールはカリフォルニアのサクラメントにあった。1年目が終了する頃には3分の1の学生が脱落するという大変な環境の中、大学を出てすでに何年も経過していたクリスティーンさんにとっても法律の勉強は非常に厳しいものだった。

「でもある時、図書館で日本からの留学生と話す機会があったのです。彼の元々の言語は英語ではないのに、頑張ってアメリカのロースクールで勉強している姿に私は元気をもらいました」。日本人投資家を助けるために弁護士になろうと思ったクリスティーンさんだが、ロースクールで大変な時期に、今度は頑張る日本人留学生の真摯な姿に助けられたのだ。

そして、晴れてロースクールを卒業すると、1988年にハワイに戻り、現在は代表を務めている弁護士事務所(現在の名称はDamon Key Leong Kupchak Hastert)に新人として入所した。「女性の弁護士はまだ珍しい時代でしたので、私が日本から来た依頼主の社長さんにコーヒーを出すと、(弁護士ではなくて)秘書だと思われていました(笑)」。

弁護士として、日本の投資家のために会社設立からライセンス取得、ビザ、人事、相続プランまで全てにわたって世話をして、すでに35年、日本の投資家のクライアント数は300社をくだらないと話す。

日本の投資家を助けたいという思いから、30歳で弁護士に挑戦し、実際にその夢を形にしたクリスティーンさん。彼女は大学時代にツアーガイドとして働き始め、通訳として活躍し、そして弁護士になった。現在は仕事だけでなく、ハワイの多くの団体の活動にも従事し、日米をつなぐ役割を公私両面で担っている。そのパワーの源はどこにあるのだろうか。そう聞こうとしていたら、最後にその秘密を自分から話してくれた。

「父方の祖母の話を聞いてください。彼女は広島から写真花嫁としてハワイにやってきた後に、ロサンゼルスで洋裁を学び、ハワイに洋裁学校を作って経営者として大成功したのです。私が生まれる前になくなってしまったので、会えなかったことが残念だけれど、あのパワフルな祖母の血が私の中には確実に流れているんです」。

写真花嫁だった父方の祖母は洋裁学校経営で成功を収めた。  

 

© 2023 Keiko Fukuda

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執筆者について

大分県出身。国際基督教大学を卒業後、東京の情報誌出版社に勤務。1992年単身渡米。日本語のコミュニティー誌の編集長を 11年。2003年フリーランスとなり、人物取材を中心に、日米の雑誌に執筆。共著書に「日本に生まれて」(阪急コミュニケーションズ刊)がある。ウェブサイト: https://angeleno.net 

(2020年7月 更新)

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