オハヨウ・ボンディア
祖父は日本から約100年前に来伯。私はブラジル生まれ。だから、私はブラジルと日本との「架け橋」になりたい。私の心に深く刻まれた「にっぽん」は宝物。ふるさとのブラジルで守りたい。そんな思いを込めて書いたのが、このシリーズです。(Bom Diaはポルトガル語でおはよう)
このシリーズのストーリー
第8回 まんじゅうの味
2011年9月7日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ
丸くて、中にはあま~いあずきのあん。これが和菓子のまんじゅう。ブラジル人も知っているドセ・デ・フェジョン。 これは母から聞いた話。八十数年前のこと。住んでいたのはシーティオ。 ある日、町からお客さんが訪れた。同じ日系人の方。おみやげは珍しいまんじゅだった。 子どもたちは、ほうきを戸の後ろにさかさまに。お客さんが早く帰るおまじない。 さあ、お客さんは帰った!子どもたちはみんなおまんじゅうに一直線! 一個のまんじゅうは四つに分けられた。母は十人兄弟。子どもたちは丸…
第7回 本当はドラマドラマ好きな男たち
2011年8月31日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ
「男は泣くもんじゃない」と、ブラジルの男の子は育てられる。大人になると、「家事は女のすることだ」、「テレビドラマなんか女の見るものだ」と男らしさであることになお一層プレッシャーが掛けられ、家事やテレビドラマから遠ざけられる。 しかし、つい最近、あるドラマのおかげでその昔のイメージは変わってきた。 ドラマの名は「冬のソナタ」。これがキッカケで、色々なことが日系人社会の中で起こっている。日本ではブームだったが、ブラジルの日系人の間ではブーム以上の「革命」のようなものがおこってい…
第6回 リベルダーデ
2011年8月24日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ
あのころのリベルダーデはわたしにはまるで別世界。 転校してルーズベルト高校に通い始めた1964年。授業は6時まで、帰りはリベルダーデのメインストリートを通ってバスターミナルへ。白と紺の制服で急いで歩く学生にとっては、竜宮を訪れた浦島太郎のようだった。 ギラギラまばゆく光るネオンの看板のネオン、またネオン。オープンしたばかりのパチンコ屋の人の出入りの多いこと。日中に見かけない異色な人たちが、のこのこと土から出てくるもぐらのようにわいてくる。サングラス、肩にかけたドハデ…
第5回 見た!わたしも見た!
2011年8月17日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ
見た。もちろん、わたしも見た。 出会った瞬間から胸がドキドキ。景色のすばらしい場所に連れて行ってもらえて、夢気分。思いがけずきれいな言葉にも出会えて、美しいメロディーにいやされた。涙ぐんだ。友情っていいなぁと改めて思った。いつもより人が恋しくなった。 そして、わたしもチュンサンに一目惚れ! ビンゴ!そうそう。そうなの。日系人の多くの人が見たという、韓国からの愛のメッセージ、「冬のソナタ」。 2005年、日本から戻った直後、幼なじみが「涙をポロポロ流して見たドラマがある」と教…