子どもの頃、クレイトはごく普通に暮らしていた。原っぱでサッカーをしたり、先生に叱られたり、近くの山に登って怪我をしたり、木登りをし手足の骨を折ったり、ゼーさんの庭のマンゴを盗み、逃げる途中、足をくじいたりしたものだ。
しかし、8歳のとき全てが変わった。母親が故郷のペルナンブーコに帰ったのだ。下の二人の娘を連れ、「わんぱく坊主」のクレイトを残して行った。以前から底なしに酒を飲む父親はさらに大酒飲みになり、とうとう病気で入院してしまった。退院後は、行方が分からなくなり、見かけた人もいなかった。
クレイトは伯父さんの家族と暮らすようになったが、「メスチッソ」だったのでひどい扱いをされた。クレイトの父親は兄弟の中で、たった一人、非日系人と結婚したからだった。
初めのうちは学校に行かせてもらえたが、中学生になると、伯父さんの魚屋で働くことになった。朝から晩までこき使われて、夜学に通うしかなかった。
ところが、中学三年生になると、悪い仲間に誘われて、授業をさぼるようになった。女の子も入れて6人で街をぶらついた。タバコと酒の味も知った。そしてどんどんエスカレートして、ドラッグにも手を染めた。
16歳で学校を止めてしまい、仕事も怠けてばかりいて、伯父さんには厄介者扱いされた。結局、家から追い出された。しかし、「捨てる神あれば拾う神あり」、世の中はよくしたものだ。
魚屋の常連で、ミヨコという女性がいた。近くに食堂を持っていて、すぐにクレイトを雇ってくれた。そして、食堂の奥の小さな部屋まで与えてくれた。食事付きで、仕事は市場の仕入れと雑用。クレイトには思ってもみなかったいい話だったが、ミヨコにはたくらみがあった。
夫に早く死なれ、ミヨコは女手一つで3人の娘を育てた。3人ともまだ独身で、長女はもう27歳だった。ずいぶん年下だったが、たくましいクレイトがオムコサンにふさわしいと思っていた。
ところが、一年後、予想外のことが起こった。ミヨコの三女のハルミにクレイトとの子供ができてしまったのだ。
その頃からブラジルは不景気になり、一般的に生活は厳しかった。そこで、妻や姑や、義姉妹たちまで寄ってたかって、「生活費は大変だし、家賃もあるし、冷蔵工もボロボロになったし、赤ちゃんもじきに生まれるし、日本へ行くべきだ。クレイトが行かないで誰が行くの」と、責め立てられた。
彼は行きたくなかった。18歳でパパ!生まれてくる赤ちゃんがいとおしかった。やっと「家族」ができたと喜んでいた。家の女性たちに日本に行きたくないと言ったのに、聞き入れてもらえず、まもなく仕方なく出発した。
初めのうちは一生懸命に働いたが、1年半ほど経った頃、自分は道端に捨てられた紙くずのようだと思った。
ブラジルの派遣業者の話では仕事はきつくなく、残業も多く、時給千円だと保証されていたのに。
すべてインチキだった。室内の気温は33度で、同僚は皆まるでロボットのようだった。無表現な顔を見ただけで、げんこつで殴って、耳元で叫んでやりたかった。
「それでも生きてるつもりなのか?」
その仕事を辞めて他の町へ移り、自動車部品工場で働き始めたが、これも数ヶ月で辞めてしまった。ねじを締める単純作業ばかりをしていたので、奇妙な癖がついてしまった。自分が、まるでねじになったように、頭を動かすのだった。どんどん力が加わって締め付けられていくような感じだった。
妻子がブラジルに戻った友人のアパートに転がり込んだ。近所にはパチンコ屋があった。ごてごてしたファサードと中から聞こえてくる音に引き込まれるように店に入って行った。「これは俺に向いてる」と。なんで今までこんな魅惑的な世界があるのを知らなかったのだろうと、とても残念に思った。
その日から、パチンコ屋に入りびたり、時間の経つのも忘れて、転がり落ちて行く小さな球を目で追うのが日課になっていた。
ある日、サングラスをした3人の男たちが店に人探しに来た。翌日から横丁のクラブのガードマンとボスのボディーガードとして得意げなクレイトが入口にいた。
これは、クレイトに向いた仕事だったが、すぐに首になってしまった。と、いうのも、ミニスカートを履いた、茶髪の娘が現れたせいだった。その娘がボスの恋人とは知らず、クレイトは彼女を飲みに誘ってしまったのだ。
© 2012 Laura Honda-Hasegawa