ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/455/

移植後の患者の経過を調べるための登録システムを作成(英語)

(英語)私達は移植手術の結果を調査しました。うまく(型が)一致したレシピエントとドナーの間で[人種が(インタビュアー)]異なった場合、術後の結果がどうだったのか、また異なった人種間で移植をした人をタイプ別に分類して、術後の経過はどうだったかなどを知りたかったのです。またその結果をデータ化必要がありました。それで移植後のレシピエントがどうなったのかを調べたのです。そこで私達は1970年に登録システムを作りました。そのシステムは現在も稼働しています1

この登録システムは、移植した患者の術後の容体など患者のデータを収集したもので、このシステムから、先程インタビュアーの方がおっしゃったように、ドナーの人種など様々な要因を検証していきます。例えば、ドナーの腎臓の大きさですが、腎臓の大きさが小さすぎると余分なストレスがかかり、大きな腎臓ほど長くもたないことがわかりました。また高年齢の人から提供された腎臓には、ネフロン2の多くにダメージがみられ、移植しても余りうまく機能しないことがわかりました。また、黒人はグラフトレベル(移植成功率?)が低く、どういう原因なのかはっきり分かっていません。ひとつには生活環境の問題があるのかもしれません。その他には、免疫反応が強いため(移植された)腎臓が拒絶反応してしまうなど、遺伝的なものが考えられます。

この登録システムはUCLAにありましたが、これに続き政府がUNOSという登録システムを立ち上げました。私達のところにも1987年から1999年にかけてこのUNOSがあったため、患者ひとりひとりのデータを収集しました。UNOSは、患者全員の登録を義務付けるという世界でも稀な登録システムです。このような登録システムから移植の様々な要因を検証ができるものは、現代医学のどの医療をさがしても他にありません。とてもユニークだと思います。このシステムは世界で唯一、登録が義務づけられた疾患関連の登録システム、つまり外科医は移植を行った場合全ての移植を報告しなければならないのです。また政府は、報告を怠った者は報酬をもらえないとしています。ですから全ての患者を登録するということは、過去20年間続いている非常に大事な活動なのです。

1. テラサキ博士は1970年に開発されたUCLA腎臓移植登録システムの立ち上げで重要な役割を果たしました。UCLA腎臓移植登録システムは後に政府が開発した全米臓器配分ネットワーク(UNOS)に発展しました。

2. ネフロンは腎臓の基本的な機能単位で、ひとつの腎臓に100万個ほど存在する。


日付: 2004年2月10日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: グウェン・ジェンセン

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1929年生まれのポール・テラサキ氏はカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の名誉教授です。組織移植研究の第一人者で、組織タイピング(適合性検査)や臓器移植について世界的に講演を行い続けています。1991年、『History of Transplantation: Thirty-five Recollections (移植の歴史:35の回顧録)』を編集しました。

また、彼と画家としても有名な妻ヒサコ夫人は、日米関係や日系アメリカ人コミュニティに強い関心を持っており、UCLAのアジア系アメリカ人研究センターへ基金を設立し、日系アメリカ人に関する体験や問題点などを研究するために留学してきた日本からの大学院留学生を対象に特別奨学金を提供しています。さらに、UCLAにおける日本研究・日米関係の分野の専門家を育てるため、優れた教育プログラムをサポートするポール・I・テラサキ基金を設けています。 (2004年2月10日)

Toshio Inahara
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トシオ・イナハラ

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三世、心臓血管外科医(1925年生)

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Sakaye Shigekawa
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