1947年サンパウロ生まれ。2009年まで教育の分野に携わる。以後、執筆活動に専念。エッセイ、短編小説、小説などを日系人の視点から描く。
子どものころ、母親が話してくれた日本の童話、中学生のころ読んだ「少女クラブ」、小津監督の数々の映画を見て、日本文化への憧れを育んだ。
(2023年5月 更新)
この執筆者によるストーリー
第6回 リベルダーデ
2011年8月24日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ
あのころのリベルダーデはわたしにはまるで別世界。 転校してルーズベルト高校に通い始めた1964年。授業は6時まで、帰りはリベルダーデのメインストリートを通ってバスターミナルへ。白と紺の制服で急いで歩く学生にとっては、竜宮を訪れた浦島太郎のようだった。 ギラギラまばゆく光るネオンの看板のネオン、またネオン。オープンしたばかりのパチンコ屋の人の出入りの多いこと。日中に見かけない異色な人たちが、のこのこと土から出てくるもぐらのようにわいてくる。サングラス、肩にかけたドハデ…
第5回 見た!わたしも見た!
2011年8月17日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ
見た。もちろん、わたしも見た。 出会った瞬間から胸がドキドキ。景色のすばらしい場所に連れて行ってもらえて、夢気分。思いがけずきれいな言葉にも出会えて、美しいメロディーにいやされた。涙ぐんだ。友情っていいなぁと改めて思った。いつもより人が恋しくなった。 そして、わたしもチュンサンに一目惚れ! ビンゴ!そうそう。そうなの。日系人の多くの人が見たという、韓国からの愛のメッセージ、「冬のソナタ」。 2005年、日本から戻った直後、幼なじみが「涙をポロポロ流して見たドラマがある」と教…
第4回 カーニバルだ!
2011年8月10日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ
カーニバルはブラジルの最大の祭り。17世紀にポルトガル人が持ち込んだ異教徒の行事で、最初は庶民の娯楽だった。人々はあちこちの通りでワイワイキャーキャーお互いに小麦粉や水を掛けあって楽しんでいた。 現在、ブラジルは世界的に「カーニバルの国」として有名である。しかし、今のカーニバルは「見せ物ショー」になってしまった。金持ちのEscola de sambaや有名人が金に任せて競争しているようだ。 わたしのカーニバルの思い出というと、子どものころ、母といっしょにサンパウロの街を…
第3回 はじめてのお風呂
2011年8月3日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ
十二歳の夏はじめて訪ねたおばあちゃんの家はじめて見た広いコーヒ園はじめて踏んだ赤土はじめて逢ったおじさんたちはじめていっしょに遊んだいとこら そして初めて入ったお風呂先に入ってとおばあちゃん母はベランダでおしゃべり何十年ぶりの里帰り はじめて見たドラムかん中に入ってだいじょうぶ?熱すぎたらどうするの?ねぇおぼれたら...ねぇ... 小さな窓からお月さんあ~ いい気持 お湯から上がってまもなく「きゃあああ ~」家中に悲鳴が 風呂場の前にみんな集まって口をポカァン ドラムかんは…
第1回 顔はルーツを語る
2011年7月20日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ
「今度のポルトゲスの先生はジャポネーザだ」 情報は稲妻のように次々に伝わって行った。専門学校の3年の男子生徒たちがずらっと窓から顔を出していた。 その前を通って、3年A組に向かう「新米」の先生はわたし。 どこまでも続くかのような長い廊下。とても緊張していた。はじめての学校勤め、はじめてのクラス。今思い出すと、「ごくろうさん。よくやったね。」と自分に言いたいほどの体験であった。。 数学とか理科だったら、これまで日系人の先生はいたけれど、ポルトガル語を専攻にした日系人は…