インタビュー
幼少期(英語)
(英語)過酷な幼少期でした。幼い頃に父を亡くし、母は6人の子供を抱え、そのうち生き延びたのは4人でした。1922年に父が亡くなり、その後6、7年はなんとかして農地を耕して生活してましたが、男手があっても農業は楽ではありません。父を失った母はとても苦労しました。私たち一家は税金を払うこともできなくなり、40エーカーのアプリコット畑もブドウ園も手放すことになりました。現金収入を得るためにニンジンやイチゴなどを育てようとしたこともありました。
私たちを助けに来てくれたのは、やはりアビコ夫妻でした。私たち一家が暮らすための場所をサンフランシスコに見つけてきてくれました。ホシヤマ家は農場での過酷な生活に7年間耐え、1929年12月にヤマトコロニーを後にしました。そして都市生活者として、サンフランシスコで新たな生活を始めました。極度の貧困状態にあった自作農の生活からサンフランシスコでの生活への移行は天国に行ったようなものでした。舗装された道路や電気、室内の水洗トイレ、5セント払えばケーブルカーに乗ってサンフランシスコ中どこにでも行くことができました。当時の私には天国のようでした。
日付: 2005年3月4日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: フローレンス・オチ、アート・ハンセン、西村陽子
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター