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生活排水の再利用から誕生した サンフェルナンドバレーの日本庭園「水芳園」 - 今後の継続のために、ぜひ訪問を!

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12月中旬、雨上がりの「水芳園」を訪れました。サンフェルナンドバレー、ヴァンナイズのティルマン下水再利用プラント内にある日本庭園です。

訪問にあたり、前もって電話にてドーセント(ガイド)をお願いしておきました。運が良かったのか、この時間に予約したのは私一人。ドーセントのジュリー・ウーさんと二人で廻ることになりました。

この日本庭園が造られた歴史から始めることにしましょう。

「水芳園」がある下水再利用プラントの正式名称は、「Donald C. Tillman Water Reclamation Center」。ドナルド・ティルマンは、ロサンゼルス市の水道技術者だった人です。60年代、市の水道局に勤務していたティルマンは、サンフェルナンドバレー地区の下水量増加という問題を抱えており、解決策として二つの選択肢を迫られました。一つはロサンゼルス地区の巨大プラント、ハイペリオン下水処理場に送られる下水管を増設すること、そしてもう一つは水の再利用施設を作ることでした。

ティルマンが選んだのが後者。下水(生活排水)が、いかにきれいな水に戻されるのか、市民に知ってもらいたいという考えからです。そこで、UCLA時代、日本庭園に造詣の深いカワナ・コウイチ教授に学んだティルマンは、処理された下水を活用した日本庭園を思いつきました。カワナ教授による全面的な協力を取り付け、日本庭園の造園計画が始まりました。

しかし壮大な計画は簡単に進みませんでした。特に財政面で苦労しましたが、ティルマンは当時のロサンゼルス市長ヨーティーを説き伏せることに成功しました。その後、二人でワシントンに向かい、ニクソン大統領(当時)に面会、計画を直訴しました。下水を公園やリクリエーションに再利用するというアイデアに大統領も共感、一気に計画は進展しました。(黒澤明監督の映画『生きる』を思い出しますね)

計画から約20年後の1984年、ティルマン下水再利用プラントと「水芳園」がオープンしました。上記のような事情から、「水芳園」の最大の見どころは、『水』なのです。

いよいよ、「水芳園」に入ります。

裏門を一歩くぐると、そこはまさに「別世界」でした。こんな広大な日本庭園だったとは! しっかりと手入れが行き届いており、ヴァンナイズの青空とは不釣合いに日本の情緒さえ感じました。

Purchase a ticket ($3) at the gift shop and enter through this back gate. It's an entrance to another world.

ジュリーさんは、裏門から向かって左側を「ドライガーデン」(枯山水)、右側を「ウェット・ガーデン」(池)と教えてくれました。水を使わずに山水を表現する枯山水庭園では、敷き詰められた小石が水(海)、そして岩(島)の周りの円形の紋様は波によってできた波紋を示しているそうです。さらに東屋に向かう飛石の配置は鳥の飛行パターンを示しているのだとか。カワナ教授は、日本庭園が自然のシンボル化(模倣)であることを忠実に表現したのです。

Dry garden, also known as karesansui garden. The rock in the foreground is surrounded by wavy patterns.

そして右側のウェットガーデンの中央には、大きな池が配置されており、平和な静けさを感じとることができました。池に配置されたいくつかの島には、鴨やサギが休み、池の中の魚を狙っているようでした。

池の向かいには、プラントの管理棟が建っています。TVドラマ『スタートレック』を始め、多くのTVや映画で使用されてきたというこの建物は、近未来的な様相をしています。日本庭園とシルバーの建物がなんともミスマッチ。

This is the wet garden. In the background you can see a futuristic building, the facility's administration building. It's no wonder that it is often used for filming movies and television shows.

ジュリーさんのツアーのハイライトが、一般入り口となる裏門のちょうど反対側に位置する茶室でした。露地(茶庭)には腰掛待合、手水鉢もありました。小さな入口、にじり口の奥には(中には入れませんが)、4畳半の茶室がありました。茶道が儀式的なことは有名ですが、ジュリーさんの説明を聞いて、茶道とは茶室の中で始まるものではなく、招かれた家の外側から始まっているのだと知りました。

On the left is the teahouse, and next to it is a shoin-style residence. These facilities were built 20 years ago, but they are well-maintained and well-maintained.

ツアーの最後は、管理棟へと戻りました。そのタワー部分に上り、水再利用の仕組みについて話してくれました。ティルマン下水再利用プラントでは、毎日2700万ガロンの水が処理されているそうです。たいていの人は生活排水が、その後どうなるかなんて考えたこともないと思います。このプラントで処理された再利用水は、その大半が海に戻されます。それ以外の一部の再利用水がこの日本庭園や近くのレイク・バルボア、さらにゴルフコースやフリーウェイのスプリンクラーに使われています。豆知識ですが、下水再利用の水の栓や水道管は淡いパープルの色をしています。黒い栓の水は飲めるけれど、淡いパープルの栓の水は決して飲んではいけないという目印なのです。

The Tillman Wastewater Reclamation Plant. Just a small part of the facility. Domestic wastewater is treated by passing it through multiple filters.

60年代のサンフェルナンドバレーで、水の再利用を日本庭園の形で見せたらどうだろう…そんな発想がこのティルマン下水再利用プラントだったわけです。カワナ教授は、6.5エーカー、およそ8000坪の地に岡山の後楽園と同じような池泉回遊式を再現しました。日本庭園にありがちな五重塔や赤い橋はありません。全ては自然と調和して溶け込んでいます。ジュリーさんは何度も「authentic」と口にしましたが、確かに派手さのない「わびさび」の日本庭園と言えるでしょう。カワナ教授が1990年に亡くなった後も、職員やボランティアの真摯な気持ちと愛情によって、「わびさび」が維持されていることに、一日本人として頭が下がりました。

公共の建物であるこの「水芳園」も財政難に苦しんでいるのは例外ではありません。約70名のボランティアの協力を得て庭園を維持していますが、日本庭園を毎日手入れするためには、年に約40万ドルの経費がかかるそうです。運営するLADWP(ロサンゼルス水道局)にとっては、非常に大きな支出であることに変わりありません。現在のところ維持には支障は出ていませんが、今後はどうなるか分かりません。

「水芳園」の入場料はわずか3ドル。月曜から木曜の午前中には、ドーセントによる説明ツアーもあります。要予約なので、前もって(818) 756-8166 に連絡してください。セルフツアーの方の開園時間は、月曜から木曜の午前11時から午後4時、そして日曜午前10時から午後4時。こちらは予約なしで入ることができます。同じ入場料なのだから、時間が許せる限りドーセント付きのツアーをお勧めします。

アメリカに来たばかりのころは、日本人がわざわざアメリカの日本庭園に行かなくても…と思っていましたが、今ではできる限り各地の日本庭園を訪問したいと考えるようになりました。アメリカの日本庭園は、日本文化を美しいと感じたローカルの日系人そしてアメリカ人の献身で、造園、維持されています。日本庭園は立派な日本文化の継承です。日本文化に対する貢献だと思って、ぜひ「水芳園」を含む、アメリカ各地の日本庭園を訪れていただきたいものです。

* * *

JAPANESE GARDEN / SUIHO-EN
Garden open hours:
Monday-Thursday, 11 to 3:15 p.m. (you can stay until 4 p.m.)
Sunday, 10 a.m. to 3:15 p.m. (you can stay until 4 p.m.)
$3 per person entry fee
$5 per person for special events days
Closed if rain within 24 hours of day you'd like to visit and on City of L.A. holidays
www.thejapanesegarden.com

© 2010 Yumiko Hashimoto

agriculture California gardening gardens Japanese gardens San Fernando Valley Suiho-en United States
About the Author

Born in Kobe city of the Hyogo prefecture, she has lived in Los Angeles since 1997. Works as an editor for a Nikkei Community paper, and also writes articles based on local happenings. When she was in Japan, she had never even heard of the word “Nikkei-jin,” let alone the existence of internment camps during World War II. She is participating in the Discover Nikkei site in hopes that the readers can “keep the existence of Nikkei people close to their hearts and minds.”

Updated October 2008

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