https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1748/
ハワイの一世プランテーション労働者。(1900年生)
あの時はまだまだね、私ら来た時は、10 Hour 仕事してね、55 cent 1 Day でした。55 cent 1 Day でした。外の仕事、きれいだったけど、草きったりね、木々に水かけたり、花輪ゆったりね、あんな仕事ずっとしたんです。朝の6時から夕方の4時半まで仕事だからね、10時間。カウカウタイム(ランチタイム)が30分で。
毎日汗をびっしょりなってからね。そしてもう帰るときはその着物着てこられないの。帰ってからチェンジしてからね、違う着物着てこなかったら風邪ひいてしまうから、あんなしてきました。あの頃は、あんなに思いましたがね、今はあのおかげでこんなに楽して暮らさせてまらうから、今はもう感謝しておりますよ。
日付: 1991年6・7月
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: ロバート・ナカムラ、カレン・イシズカ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
1900年生まれの福岡県出身の笠原さんは、先にハワイへ移住していた両親に1919年に呼び寄せられた。移住当時はホームシックで毎日泣き明かしていたという彼女は、砂糖きびプランテーションで日給55セントで働いた。
笠原さんは1922年に、プランテーション労働者とお見合い結婚をした。夫は再婚で、最初の奥さんは亡くなり、二人のお子さんをもうけていたが、笠原さんと結婚したときは、二人の子供たちは日本へいた。笠原さんはその夫との間に6人の子供をもうけたが、うち2人をまだ小さい時に亡くした。(1991年7月)
マリー・ミルクス判事 - 彼女のヒーローであり指導者
(1957年生まれ) ハワイ州最高裁判所判事。