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逮捕された父(英語)

(英語)背の高い白人の男が3人、玄関の呼び鈴を鳴らしたので、私がドアを開けたんです。すると彼らはリビングの方へほとんど勝手に入って来たんです。私はドアをちょっと開けただけだったのに、彼らは勝手に中に入ってきたんです。

最初は何が起こったのかわからなかったんですけど、FBIカードを取り出して、「セイジ・ナカハラはいるか」と聞いてきたんです。

私は「居ますよ。でも父はとても具合が悪いので別の部屋で寝ています」と答えました。

でも彼らはすぐに入ってきて、寝室に行き、父を起こし、バスローブを着てスリッパを履くよう指示し、外に出るようせきたてたんです。「父をどこに連れて行くんですか?」とか「これは一体どういう訳なんですか?」とか訊ねる時間さえもなかったんです。そうやって彼らは父を連れて行ったんです。私は近所の叔母(伯母)の家にいた母に、「すぐに家に帰って来て。誰かがパパを連れて行ったの」と伝えました。


投獄 監禁 第二次世界大戦

日付: 2003年6月16日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: カレン・イシズカ、アキラ・ボック

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ユリ・マリー・コチヤマ氏(旧姓ナカハラ)は1922年南カリフォルニアのサンペドロで生まれました。子供のころは、素朴で、信仰心が厚く、政治とは無縁の女の子でした。しかし、1941年12月7日にハワイの真珠湾にあるアメリカ海軍基地が攻撃され、多くの日系人がアメリカ政府によって収容所や拘置所に入れられたのをきっかけに彼女の人生が変わったのです。ユリは、人種差別が行われていたアメリカ南部にあった2つの強制収容所での生活を通し、日系人とアフリカ系アメリカ人の類似点を見出しました。

戦後は、日系二世部隊に所属していたビル・コチヤマ氏と結婚し、ニューヨークに移り住みました。1960年、コチヤマ一家はアフリカ系アメリカ人地域のハーレムにある低所得者住宅に引っ越しました。このことが、ユリ・コチヤマ氏を政治の世界に引き込むことになったのです。特に1963年の米国黒人開放運動の指導者マルコムXとの出会いが彼女に与えた影響は大きく、マルコムXはその2年後に暗殺されてしまいますが、その後も黒人開放、日系アメリカ人補償運動、ベトナム反戦運動、反帝国主義運動、不当収容への反対などの政治活動家としての長い人生を送っています。

コチヤマ氏は、2014年6月1日、93歳で亡くなりました。(2014年6月)

Ben Sakoguchi
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ベン・サコグチ

キャンプから帰ってきて

(1938年生まれ) 日系アメリカ人の画家、版画家

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