https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/593/
(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長
(スペイン語) アルゼンチンの街で日本人というと・・・、アルゼンチン人にとって日本人というと、クリーニング屋ですね。というのも街で、実際に多くの大都市では、ここ50年、日本人はクリーニング屋の仕事をしてきたからなんです。たいてい沖縄出身の人たちですね。それから、首都のブエノスアイレスや大都市から離れたところにいる人たちは、花の栽培をしていました。私の父もそうでした。父は初め、祖母のいるダリンという村に住んでいました。その後、そこから20キロほど離れたエスコバルというところに移りました。そこには、200以上ものたくさんの日本人家族が住んでいて、大半が花の栽培をしているんです。そうですね、エスコバルは、今では国民的な花の都として知られていますが、実際にそうしたお祭りを始めたのは日本人だったんですよ。
日付: 2005年10月7日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: アン・カネコ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
モニカ・小木曽氏は1969年4月14日、ブエノスアイレス州にある園芸業に従事する日系コミュニティ、エスコバル市に生まれました。旅行業の資格を持つ彼女は、現在は旅行業界で活躍。さらには、日本向けのイベント企画のコーディネーターとし、日本とアルゼンチン両国の架け橋として活躍しています。また、ブエノスアイレスの日系団体、アルゼンチン日系センターの前会長を務め、現在はパンアメリカン日系人協会の代表メンバーでもあります。(2007年1月23日)
アルゼンチンでの差別(スペイン語)
『らぷらた報知』ジャーナリスト (1925-2014年)
日系アイデンティティ(スペイン語)
戦後ロサンゼルスに戻る
(1939年生まれ) 戦時中に家族とともに自発的にユタ州ソルトレイクシティに移住した実業家。