https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/661/
徴兵忌避者(1925年生)
(英語) 日系人を収容所から解放するか否かに関わらず、政府は日系人の国家への忠義を重要視していました。…仮に政府が…もし僕が質問に対して「イエス、イエス」と答えれば、収容所を出れるかもしれないなんて考えもしませんでしたね。国家の忠義に関する質問に、僕は僕自身の率直な考えを答えました。政府が僕の個人的な考えを知りたければ、僕は率直に答えます。だから僕は、自分が1番正しいと思うことを正直に答えたんです。例えそれが収容所のルールを破ることになったとしても。だから、収容所から出るためにその質問を利用しようなんて考えもしませんでした。僕は、それは一般的な忠義に関わるアンケートだと思ったし、僕自身の気持ちや考え方を忠実に答えるべきだと思っただけです。
日付: 1997年7月25日
場所: 米国、ワシントン州
インタビュアー: ラリー・ハシマ、スティーブン・フギタ
提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project
ジーン・アクツ氏は、1925年にワシントン州シアトルで生まれた、日系二世の男性です。戦前の幼少時代をシアトルの日本街で過ごしますが、(戦争が始まると)ワシントン州ピュウアラップの集合センターおよびアイダホ州ミニドカの収容所へ収容されました。徴兵を拒否したため、ワシントン州マクニール島の刑務所に徴兵拒否の罪で入れられ、(出所後は)シアトルに再び腰を落ち着けました。(1997年7月25日)
タンフォラン集合センター(英語)
第二次世界大戦中トパーズに強制収容された日系三世。受賞歴のあるディズニーアニメーター(1934年生)
トパーズでブローチを作る父(英語)
戦時中に厳しく規制された外国語教育
サンパウロ大学法学部博士教授、弁護士、翻訳家(1948年生)