ニッケイの視点
このシリーズは、ギル・アサカワさんの『ニッケイの視点:アジア系アメリカ人のブログ(Nikkei View: The Asian American Blog)』から抜粋してお送りしています。このブログは、ポップカルチャーやメディア、政治について日系アメリカ人の視点で発信しています。
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このシリーズのストーリー
家族介護だけでは親の介護が十分でないとき
2018年5月30日 • ギル・アサカワ
先月、兄のグレンと私は、コロラド州ラファイエットにある母の家から近くの認知症ケア施設に移しました。母は長い間認知症を患っていましたが、ここ数年で症状が著しく悪化しています。母を家から連れ出すときの気持ちと、今の気持ちをまだ整理できていません。浅川順子さんは、日本北部の北海道にある小さな漁村、根室で生まれ育ちました。彼女は戦前に育ち、10代の頃には「ミス根室」に選ばれました。母は英語が少し話せたので、戦後、日本を占領していたアメリカ人のために働きに行きました。根室には米兵の部…
ロックンロールとラーメン:盗用と鑑賞の教訓
2018年4月27日 • ギル・アサカワ
私の友人たち(そしてソーシャルメディアの「フードポルノ」写真をフォローしている人)は、私が日本食にうるさい人だということを知っています。私は、最高のトンカツ、本物の寿司と偽物の寿司、メニュー項目を正しく発音できない外国人が店員を務める日本食レストランについて、強い意見を持っています。また、私はラーメンが大好きなので、まずいラーメンは嫌いです。デンバーでは、まずいラーメンはおいしいラーメンよりずっと一般的です。だからといって、スーパーで寿司のトレーを買わないとか、日本人が所有…
JA退役軍人への敬意
2017年11月30日 • ギル・アサカワ
日系アメリカ人コミュニティ内での会話で「退役軍人」という言葉が話題になると、その言葉が思い起こさせるイメージは、ほとんどの場合、第二次世界大戦中に戦った第100大隊/第442連隊戦闘団の二世兵士たちの姿ではないかと思う。 ますます多くの人が、第二次世界大戦中に太平洋で勇敢に従軍し、ダグラス・マッカーサー将軍とともに島巡りをし、その後、日本占領軍の通訳として協力したあまり知られていない二世のグループである軍事情報局を思い浮かべるだろう。政府が彼らの任務について秘密を要求したた…
JAコミュニティについて書くにあたって
2017年11月9日 • ギル・アサカワ
私は音楽評論家として執筆活動を開始し、その後、さまざまな主流メディアの新聞社やウェブサイトでジャーナリストとして働くようになりましたが、日本人、日系アメリカ人、アジア系アメリカ人太平洋諸島民のコミュニティや問題についての取材にはあまり関心がありませんでした。 90年代初めに父が肺がんと診断されたとき、私は自分のルーツに興味を持ち始めましたが、日系アメリカ人であることについて書き始めたのはそれから数年後のことでした。私は90年代後半に日系三世の妻と出会いましたが、彼女が私に…
「リトル・エグザイル」はJAの読書リストに素晴らしい追加となる
2017年10月25日 • ギル・アサカワ
第二次世界大戦中の日系アメリカ人の強制収容の歴史的物語は、アメリカの主流文化や文学ではまだよく知られていない。書籍に関して言えば、日系アメリカ人の戦時体験に基づいた本はほんの一握りしかない。1957年にジョン・オカダが書いた画期的で怒りに満ちた「ノー・ノー・ボーイ」に続いて、1973年にジーン・ワカツキ・ヒューストンが書いた「フェアウェル・トゥ・マナザナー」が最初の有名な回想録となった(そして1976年にテレビ映画化されたことでさらに有名になった)。1994年の小説「 スノ…
「二半世」の視点から見た三世の遺産
2017年10月5日 • ギル・アサカワ
子どもの頃、私は何世代かと聞かれると、「二世」と答えていました。父はハワイ生まれの二世(厳密には帰米ですが、父の家族は1940年に日本に移住し、父は戦争中日本に閉じ込められていたからです。しかし、それはまた別のエッセイで)ですが、私は日本で生まれたからです。私の父は朝鮮戦争中に米軍に所属し、駐留先の北海道で一世の母と出会いました。私と二人の兄弟は皆東京生まれで、私は1957年生まれのベビーブーマー世代です。私が8歳の時に家族はアメリカに移住し、父はワシントンDCの米陸軍工兵…