インタビュー
異人種間結婚禁止法時代の結婚(英語)
(英語)私を結婚させようと、その人たちはどうにか父を説得しました。私はまだ結婚する準備はできていませんでしたし、考えたことすらありませんでした。婚約し、いよいよ全てが動き出すと、式場探しが始まりました。私たちが結婚できる1番近い場所は、ニューメキシコ州でした。最初の町がローズバーグで、私たちはそこへ行くことにしました。ハーバートの家族、私の父、母、ハーバートの兄(弟)、そしてハーバートと私でした。私たちは、牧師を見つけましたが、教会は今清掃中で使えないけれど、牧師館で結婚させてあげる、と言われました。 当時、カリフォルニア、ユタ、ネバダ、アリゾナ、オレゴン、ワシントン、モンタナの法律は異人種間の結婚を禁じていました。インディアンやメキシコ人との混血の人口は多かったのですが、政府は、日本人や中国人など、全ての人種をリストに入れていました。ハーフも例外ではありませんでした。 そのようなことを心配していたのは父でした。私は気にしたことはありませんでしたし、考えたことすらありませんでした。そういうことなんですね。私は、自分はアメリカ人だから、どこまでもアメリカ人だ、という意識でした。だから、私が出生証明書を手に入れられなかったのは傷つきました。もし、50年前私が賢かったら、おじに手紙を書いて貰ってたのに、と思いました。おじは、実際手紙を書いてくれたのですが、その時にはもう遅かったんです。他にも証明書類が必要だ、と言われました。
日付: 2012年8月27日
場所: 米国、ワシントン州
インタビュアー: シンディ・ナカムラ、エミリー・アンダーソン
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター,ニットータイヤ「Life History Project」の協力。南カリフォルニア大学「Hapa Japan Database Project」による提供。