Speaking Up! Democracy, Justice, Dignity
日系アメリカ人の地位回復を果たした「市民自由法」制定25周年を記念して、全米日系人博物館は、2013年7月4日から7日にかけてワシントン州シアトルで、第4回全米会議『Speaking Up! Democracy, Justice, Dignity』を行いました。この会議では、民主主義、正義、尊厳をテーマに、新しい見識、学術的論考、コミュニティの観点を紹介しました。
このシリーズでは、今回の会議で発表されたさまざまな視点からみる日系アメリカ人の体験談だけでなく、会議に参加した方々の反応などを中心に紹介します。
会議についての詳しい内容は、全米会議のウェブサイトをご参照ください>>
このシリーズのストーリー
娘から見たミノル・ヤスイ 「公民権ヒーロー」
2014年1月8日 • ホーリー・ヤスイ
父、ミノル・ヤスイは、いつも、いやほとんどいつも、私のヒーローでした。でも、全ての人がそう思っていた訳でも、いつの時代もそう思われていた訳でもありません。 1942年、父が夜間外出禁止令の合憲性を問いただすため試験的に裁判に乗り出した時、父をヒーローだと思う人はいませんでした。メディアは、父を裏切り者の「ジャップのスパイ」と決めつけ、日系アメリカ人市民同盟(JACL)は、「新聞の一面を飾りたがっている身勝手な殉教者」と呼びました。1944年、父がハートマウンテンの徴兵拒否…
記録文学としての短歌、俳句、川柳:一世が詠んだ民主主義、正義、尊厳 - その2/2
2013年11月20日 • 粂井 輝子
その1を読む>>3.アメリカ民主義:排日からリドレスまで排日 1907年のニューヨークタイムズの記事には、「白人の世界の日本人の侵略」と書かれています。やがて紳士協約が結ばれ、1913年カリフォルニア州外国人土地法、1920年の写真花嫁への旅券発給停止、1922年小澤孝雄判決による帰化不能外国人の決定、1924年移民法による日本人移民の停止と続きます。 短歌から三つばかり拾ってみました。法律とは別に、家を借りることができない社会的差別や、市民権がないばかりに泣き寝入りしな…
記録文学としての短歌、俳句、川柳:一世が詠んだ民主主義、正義、尊厳 - その1/2
2013年11月18日 • 粂井 輝子
本日は、「短歌、俳句、川柳が詠む民主主義」と題して、最初に、「民衆の文学」として初期の作品を、つぎに「生活の記録、感情の詩」としてアメリカの生活を詠み込んだ作品を、最後に「アメリカ民主義 排日からリドレスまで」と題して、作品をいくつか取り上げます。 1. 民衆の文学 俳句や短歌、川柳は日本の「国民の文学」とでもいうべき文学形態で、一般の人々の生活に根ざしていました。当然、アメリカに行っても、生活の一部として作っていたものと考えられます。移民史などの史料を総合しますと、190…
第二次世界大戦をめぐるハワイ日本人移民の忠誠心と日本人意識 ―短歌・俳句・川柳を史料として― - その3/3
2013年10月3日 • 島田 法子
その2を読む >>6.戦後のハワイ日系社会戦争終結後は、日本人社会ではエスニック文化が一気に復活した。戦後のハワイ社会は日系文化にたいして非常に寛容で、「非アメリカ的」という激しい攻撃を受けることもなくなった。重要な制度であった日本語学校、仏教寺院、神道神社が再建された。日本人社会の生活習慣や行事等にも復活した。 久さびさに雛なつかしく飾りけり 川本恵子 なつかしき人の集ひや初句會 豊村 四年ぶり日本映画や初興行 恵子 戦後の日本人社会は、戦争中の軍需景気の…
第二次世界大戦をめぐるハワイ日本人移民の忠誠心と日本人意識 ―短歌・俳句・川柳を史料として― - その2/3
2013年10月2日 • 島田 法子
その1を読む >>3.二世部隊 ハワイの日系二世といえば、第100大隊、そして第442戦闘部隊はあまりにも有名である。彼らの輝かしい戦功・犠牲によって日系人の忠誠が証明されたといわれる。息子を軍隊に送り出すことによって、一世はアメリカへの恭順を示した。しかし、二世兵士の心情を思いやる一世、また兵士の親たちの悩みは深かった。 生みの親と育ての親の争ひに二世は迷ふ荊(いばら)踏む道 相賀渓芳 割り切れぬ千々の悩みに踏み迷ふ二世の親の心淋しも 相賀渓芳 敵とならん子の入…
第二次世界大戦をめぐるハワイ日本人移民の忠誠心と日本人意識 ―短歌・俳句・川柳を史料として― - その1/3
2013年10月1日 • 島田 法子
はじめにこの発表は、ハワイの日本人移民一世の短歌・俳句・川柳を素材として、彼らの日本人意識、祖国への忠誠と移住地アメリカへの同化に焦点をあわせて、その変化を追うものである。取り上げる期間は、1931年の満州事変から、太平洋戦争を経て、1952年のサンフランシスコ講和条約発効に至るまでの、波乱に満ちた約20年間である。 この間、一世の法的地位・社会的立場は大変動を経た。戦前、日本人移民に帰化権はなく、一世は日本国籍の日本人であったが、ハワイ定住を決心しており、子どもたち二世…