ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/244/

演劇とのかかわり (英語)

(英語) 当時エミコ・オオモリさんはサンフランシスコにいたので、それで彼女のいくつかのフィルム制作に参加することになり、スティーブン・オカザキとフィリップ・ゴタンダとフィルムの脚本を書き始めたのです。また当時私は「Asian American Theatre Company」と係わりがあり、確か15演目ぐらいの演劇に出演した経験があったので、オオモリさん達が移民世代の役やマノン(フィリピンでおじさんという意味)の役を演ずる人が必要なときは・・・フィリピン人の役もやったのです。その時はフィリピン人移民がどんな感じかをつかむために、(フィリピン人の)友達の家にいったり教会に一緒に行ったりなどしました。彼らは日系アメリカ人とはまた全然違いますから。


芸術 カリフォルニア州 エミコ・オオモリ 舞台芸術 フィリップ・カン・五反田 サンフランシスコ スティーヴン・オカザキ 劇場 (theater) アメリカ合衆国

日付: 2004年1月7日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: アート・ハンセン

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ジェームス・ヒラバヤシ氏は、20世紀初期に米国北西部太平洋岸に移住した勤勉な農民の息子として生まれました。1942年、当時高校3年生だったヒラバヤシ氏は、パインデール集合センターに一時的に拘留されましたが、その後北カリフォルニアのツールレイクの収容所へ移送、抑留されました。

第二次世界大戦後、シアトルのワシントン大学で人類学の文学士号(BA)と文学修士号(MA)取得し、その後ハーバード大学で博士号(Ph.D)を取得しました。現在はサンフランシスコ州立大学の名誉教授であり、合衆国で初めて設立された民族研究学部の学部長を務めました。そのほかにも、東京大学やアルバータ大学(カナダ)、アーマド・ベロ大学(ナイジェリアのザリア)での研究・教歴を持っています。

ヒラバヤシ氏は、2012年5月1日、85歳で亡くなりました。(2014年6月)

Seiichi Tanaka
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田中誠一

開拓精神へ捧げる(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

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Jimmy Naganuma
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ジミー・ナガヌマ

戦後のスポンサー(英語)

クリスタルシティに収容された日系ペルー人(1936年生)

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George Kazuharu Naganuma
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ジョージ・カズハル・ナガヌマ

異国感

(1938年生まれ)クリスタルシティに収容されていた日系ペルー人

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George Kazuharu Naganuma
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ジョージ・カズハル・ナガヌマ

サンフランシスコ初のボーイスカウト隊

(1938年生まれ)クリスタルシティに収容されていた日系ペルー人

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