https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/547/
ロサンゼルスの洗心仏教寺の開教使・緊那羅(きんなら)太鼓の共同創始者。
(英語) 僕らは鼓童(こどう)が鬼太鼓座(おんでこざ)だった時代からずっと知ってるんです。鬼太鼓座が初めてアメリカに来た時、彼らには誰も知り合いがいなくて、どこからか僕らのことを聞きつけて、ここで練習してたんです。なんだか変な感じでしたよ。彼らはハリウッドの安ホテルに泊まっていて、ここまで走って来るんですよ。リハーサルをやって、そしてまた走って帰って行って。劇場での公演にも走って行ってましたからね。それで僕らは、「あんた達は一体何を考えてるんだ?」なんて言ってましたけどね。
でもまあ、とにかく当時も、その後彼らが鼓童というグループになってからも、彼らとはすごく親しい付き合いがあるんです。 鼓童がこっちに来る時は、みんなで持ち寄りパーティーをするんです。でも彼らは僕らのグループとは正反対なんです。1度彼らに「僕らの太鼓は真面目だけど、君らのは遊びの太鼓だね」と言われたことがあったんです。僕はそれを褒め言葉と受け取ったし、彼らとしても僕らのようなアメリカの太鼓と交流することによって、一座への女性の参加をようやく承諾するようになったんじゃないか、とも思うんです。当時そんなことは日本では考えられないことでしたからね。日本では女性は太鼓を叩けなったんです。でもここでは圧倒的に女性が多いんですよ。何の制約もないので、どのグループもメンバーのほとんどは女性です。そしてそのことが鼓童の人たちに影響や衝撃を与えたんだと思いますよ。
それから彼らは演奏中に笑顔を見せるようにもなったんですが、日本のパフォーミング・アーツにはそれもないことでしたよね。今までのアメリカからの影響もあって、彼らはより良くなってきてると思います。
日付: 2004年12月3日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: アート・ハンセン、ソージン・キム
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
マサオ・コダニ開教使は浄土真宗の三世の僧侶で、アメリカで2番目に結成された初の日系アメリカ人仏教徒による太鼓グループ、緊那羅(きんなら)太鼓の共同創設者です。
コダニ開教使はカリフォルニア州グレンデールで生まれ、第2次世界大戦中はポストンの強制収容所に家族とともに収容されました。戦後、彼の家族はロサンゼルスへ戻り、ワッツと呼ばれるアフリカ系アメリカ人の多い地域へ住みました。彼の家族は仏教徒でしたが、彼の両親は子供たちが社会に簡単に馴染めるようにと東ロサンゼルスのエバグリーン・バプティスト教会へ通わせました。 コダニ氏はセンテニアル高校を卒業後、カリフォルニア大学サンタバーバラ校へ進学し、東アジア研究の学位を取得しました。在学中、西本願寺のアート・タケモト開教使と親密になり、彼の影響を受け、仏教を勉強するために日本の龍谷大学へ留学をしました。日本で学業を終えた後、アメリカへ戻り、サウスセントラルロサンゼルスの洗心仏教寺に配属されました。 1969年、さまざまな経験を通して、法楽、すなわち仏陀・達磨を楽しむことを目的に、日系アメリカ人仏教徒による組太鼓グループ緊那羅太鼓をお寺のメンバーとともに結成しました。彼らの曲『阿修羅』はアメリカの太鼓レパートリーの中で最もよく使われる練習曲のひとつです。(2004年12月3日)
伝統からの脱却(英語)
和太鼓奏者・アーティスト。太鼓センター・オブ・ザ・パシフィック(Taiko Center of the Pacific)の芸術監督。(1952年生)
非太鼓グループとの共演(英語)
桜祭りでの太鼓演奏の欠如(英語)
新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)
アメリカで太鼓を始めた理由(英語)
緊那羅太鼓との出会い(英語)
太鼓とはっぴ(英語)
タイア道場(英語)
伝統的太鼓スタイル(英語)
開拓精神へ捧げる(英語)
日本の音楽教育(英語)
アメリカの太鼓と日本の太鼓の違い(英語)
夢-「太鼓」が英語の辞書に(英語)
『青い目の人形』
アメリカ最大のグラジオラス球根農園の設立者 (1914-2018)
ハパ・プロジェクト(英語)
映画製作者・アーティスト(1965年生)
特有性の認識(英語)