インタビュー
大戦中のカナダ在住の日本人漁師らの扱い (英語)
(英語)状況は1月から変わりました。特に香港での戦い以降、社会不安はますます高まっていったようです。何か手を打たなければいけない、と(国は)考えたんです。その時点でアメリカでは陸軍や特に海軍が、日本人漁師がスパイである可能性を考えていたことは確かだと思います。実際には誰もスパイとして告発されることはなかったのですが、(カナダの)日本人は「反逆者」ではないかと言われていたし、この「反逆者」という言葉も考え方も、カナダでは世間一般に使われ、信じられていました。それはヘミングウェイの、もう1人の敵は内側に居る、という思想に基づいているんです。だから政府は、全ての日系人漁師を訪ねて回り、調べてました。 結果的に1月には日本人の漁師全員に船を差し出すよう命じ、そして日本人が漁に出ることを妨げ、禁止したんです。最初に彼らがしたのはそういうことでした。次に日本人はプリンスルパート湾に集められ、船で西海岸を下り、自分の船をフレーザーバレーまで運ぶよう命じられました。本当に小さい漁船で、小型エンジンでパタパタ進む船ですから、1週間もかかるような長旅だったんです。天気がいい日の日中しか移動できない船で、一体どれほど遠くまで行けるというのでしょうか?彼らは全ての船を出し、フレーザーバレーまで移動しました。そしてフレーザー川の河口の三角州に船をくくり付けました。そしてすごいことに、日本人の漁船全てがつながれ、はるか遠くの方までVの字に並べられた様子が写された有名な写真が残っているんですよ。それらの船は売られるまでそこに置かれていました。そしてその多くは2、3年以内には人手に渡ったのです。
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戦後ニューヨーク市に移住した二世の花屋。日系アメリカ人の公民権運動で活躍。(1915-2011年)
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