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https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2020/11/12/my-love-and-life/

私のスポーツへの愛と人生

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2018年、ロバートとアリス・キッカワ夫妻と勢ぞろいした子と孫たち(写真提供:アラン・クボタ)

昨年、私の最愛の妻アリスが突然亡くなるまで、私は自分が世界一幸運な男だと思っていました。私たちは65年間幸せな結婚生活を送り、4人の子どもと10人の孫に恵まれました。2人の娘に2人の息子、孫は女の子が5人と男の子が5人の完璧な男女比でした。

私たち夫婦は、ほとんど全ての行動を共にしました。たくさんのスポーツ観戦にも行きました。最初に観戦したのは、娘たちがメンバーだったJAO(日系人スポーツクラブ)のバスケットボールとソフトボール、そして高校アーチェリー、バドミントン、バスケットボール、その後はバレーボールやSCWAU(南カリフォルニア女子競技組合)バスケットボールでした。それから息子たちのCYC(地域の青年会)野球やバスケットボール、高校水球に続いてNAU(二世競技組合)野球やバスケットボールも見に行きました。孫たちのサッカーや野球、バスケットボール、アメリカンフットボールやエアライフル、ダンスコンペティションのパフォーマンスも応援に行きました。孫たちがカリフォルニア高校スポーツ連盟やNAU州大会で優勝した時も、私たちは応援していました。

1974年パサデナ・ブルインズのメンバーだった息子ドン(後列、44番)のコーチを務めたロバート・キッカワ。

一日に複数の試合を見に行くことも頻繁にあり、ハワイやサンディエゴ、ラスベガスにも足を運びました。孫たちが参加する日系四世の親善試合を観戦するため、日本にも4回行きました。長年にわたって家族の試合を何千回も観戦し、そのすべての試合を私たちは楽しみ、誇りと情熱が尽きることはありませんでした。

ロバートとアリス・キッカワは、四世バスケットボール親善試合を観戦しに日本を4回訪れた。孫たちは第10回、14回、20回、22回大会に参加し、この写真はその一つ。

蛙の子は蛙と言いますが、それは私たちにも当てはまるでしょう。1949年、第二次世界大戦の終戦からわずか3年後、私はパサデナのワシントン中学校で野球、バスケ、アメフトと陸上競技で表彰を受けました。当時の中学校は、今の7年生から10年生に相当します。

年間最優秀少年賞を受賞したロバート(オサミ)キッカワをとりあげた『羅府新報』に掲載された記事

17歳で10年生を卒業したとき、私はパサデナ地域の年間最優秀少年賞に選ばれました。『パサデナ・スターニュース』という地元紙のスポーツ欄編集長から5人の優秀な男子選手に賞が贈られました。その2年後の1951年、私はパサデナ・シティ・カレッジでアメフトのハーフバックとしてプレーをし、全米短大チャンピオンになりました。その年私はあまりプレーできませんでしたが、当時の私は未来の子や孫たちのスポーツ愛を育み、彼らの人格を形成していくとは、予期していませんでした。

1953年にアリスと結婚した後も、NAU野球とソフトボールを続けました。私はソフトボールが好きでした。NAUソフトボール大会で優勝し、大人になってからボウリングも始めました。42歳でスパイクシューズとグローブをようやく手放した後も、ボウリングは何年も続けました。ボウリングは、友人たちとのつながりを保ちながら、試合やチームスポーツに愛を注ぎ続けられる素晴らしいスポーツです。43歳でパーフェクトゲームに近い298点のスコアを出し、71歳のときに700シリーズ(3ゲームで平均スコア233点以上)を出しました。60年間ボウリングを続け、2010年に78歳で引退しました。スポーツを通して生涯の友情を育み、たくさんの大切な教訓を得ました。プレーの仕方にはその人の人格が現れると思うのです。

今年は、生涯二度と経験することのない1年になりました。パンデミックとそれに伴うあらゆる壊滅的な影響だけでなく、レイカーズとドジャースが、わずか2週間しか間隔を空けずに優勝したからです。8月から10月までの短期間で、NBAとMLBシーズンとプレーオフが重なり、再び次々に試合を観戦している気持ちになり、情熱と尽きない誇りという慣れ親しんだ感覚を覚えました。そして目を閉じれば、私の傍らに座り、大好きな選手とチームを静かに応援する妻のアリスを感じることができました。

2018年7月、パサデナ仏教会のお盆祭りを訪れたロバートとアリス・キッカワ。(写真提供:ブレント・ルー)

今でも私は、自分は幸運な男だと思っています。子どもや孫に会う度、アリスの魂は彼らの中に生きていると感じるのです。妻のように思いやりがあり、愛情豊かで利他的で温かいだけでなく、彼女たちは人生で最も大切な教訓をスポーツ愛から学んでいます。それは、チームワークの価値、友情の大切さ、目標設定の重要性、逆境でこそ人格は形成されること、絶対にあきらめないという意欲です。

私は実に、幸せな人間です。

 

© 2020 Robert “Lefty” Kikkawa and Ken Kikkawa

ニマ会によるお気に入り

特別企画「ニッケイ物語」シリーズへの投稿文は、コミュニティによるお気に入り投票の対象作品でした。投票してくださったみなさん、ありがとうございました。

星 64 個
家族 スポーツ
このシリーズについて

ニッケイのスポーツを、ゲームの勝敗を超えて特別なものにしているのは何でしょう?あなたのヒーローである日系アスリートや、あなたのニッケイとしてのアイデンティティに影響を与えたアスリートについて書いてみませんか?ご両親の出会いのきっかけは、ニッケイのバスケットボールリーグやボウリングリーグでしたか?戦前の一世や二世の野球チームに代表される日系スポーツ史にとって重要な時代に関心はありますか?

ニッケイ物語第9弾として、ディスカバー・ニッケイでは、2020年6月から10月までスポーツにまつわるストーリーを募集し、同年11月30日をもってお気に入り作品の投票を締め切りました。全31作品(日本語:6、英語:19、スペイン語:7、ポルトガル語:1)が寄せられ、数作品は多言語による投稿でした。編集委員とニマ会の方々に、それぞれお気に入り作品の選考と投票をお願いしました。下記がお気に入りに選ばれた作品です。 

編集委員によるお気に入り作品

ニマ会によるお気に入り作品:  

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執筆者について

ロバート・“レフティ(左利き)”・キッカワは、現在88歳の日系二世、カリフォルニア州ガーデナ出身。パサデナに住んで約75年になる。第二次世界大戦中はアリゾナ州ヒラリバーとカリフォルニア州ツールレークへ強制収容された。陸軍に2年間従軍した後、自動車業界でキャリアを積み、最愛の妻アリスとは65年間にわたる結婚生活を送った。アリスは、男性が望み得る最高の妻であり、素晴らしい母、そして祖母だった。4人の子どもたち、デビー(クボタ)、シャロン(リー)、ドン、ケンに恵まれた。1972年、ロバートとアリスは共同でパサデナ・ブルインズを立ち上げた。

(2020年11月 更新)


ロバートとアリス・キッカワの4人の子の末っ子。カリフォルニア州アルタデナ市在住。29年前にカレン(タケサト)キッカワと結婚し、現在カリフォルニア大学バークレー校に通う21歳の息子ケンダルとセントルイスのワシントン大学在学中の娘カイラがいる。

(2020年11月 更新)

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