1947年サンパウロ生まれ。2009年まで教育の分野に携わる。以後、執筆活動に専念。エッセイ、短編小説、小説などを日系人の視点から描く。
子どものころ、母親が話してくれた日本の童話、中学生のころ読んだ「少女クラブ」、小津監督の数々の映画を見て、日本文化への憧れを育んだ。
(2023年5月 更新)
この執筆者によるストーリー
ブラジルの日本式クリスマス
2024年12月24日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ
年末年始が近づくと、母はいつも言っていました。「私たち日系人はラッキーだね。この時期にはブラジルと日本の両方の伝統儀式を楽しむことができるから。クリスマスにはブラジルの伝統のパネトーネを食べて、クリスマスツリーを飾って、親戚や友人とプレゼントを交換し合う。お正月になれば、日本の伝統のお餅やお雑煮などの馳走を食べて、家族そろって紅白歌合戦を楽しむでしょ。私たちは、とても得しているのよ!」と。 私も同感です。ブラジルの多くの日系の家族は、当然、このような年末年始を過ごしている…
第四十八話 まいちゃんの夢
2024年12月10日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ
まいちゃんは小学3年生。お父さんのルカスは、父親のタケシに連れられ9歳のときブラジルから来日した。お母さんのあゆみは、両親がブラジルからデカセギで日本に来て、日本で生まれ育った まいちゃんは日本生まれで、日本の学校に通い、友達は皆日本人の子どもだ。また、お母さんの親戚は、日本に長く暮らしている人が多いので、皆日本語がわかる。だから、まいちゃんは、ポルトガル語を使う機会がほとんどない。 本を読むのが大好きなまいちゃんは「世界の童話」を夏休みの宿題として選んだ。両親に話すと…
日本の名前を持っていない理由
2024年10月30日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ
Laura Hasegawa(ラウラ・ハセガワ)と申します。77歳です。同年代の日系人の方は、日本の名前のみか、ブラジルの名前とミドル・ネームに日本の名前を持つのが一般的だと思います。 母は私に「Noêmia」という名前を付けたかったようです。ブラジルの名前ですが、日本語で「のえみ」と呼べるので、とても便利な名前だと思ったのでしょう。 私が生まれると、父はすぐに民事登記所へ行きました。戻ると「『Laura』と付けて来たよ」と母に言ったそうです。最初、母は驚きましたが…
第四十七話(前編)「帰りたくても 帰れない」
2024年4月18日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ
2人の姉を持つ末っ子長男のエイジは、親に将来は医師になるよう言われ育った。姉たちは家事や両親が営むスーパーの手伝いをさせられたが、エイジだけは手伝いではなく勉強に集中するよういつも言われていた。 高校三年生になると、学校が終わるとすぐに塾へ行き、夜は自宅で勉強、週末も塾に通いテスト勉強に励むのが日課だった。 ある土曜日、遊びに来ていた3人のいとこに誘われ、エイジは塾をさぼって、リベルダーデの東洋街に行った。まるで魔法の世界に入り込んだようだった。見る物、聞く物、何もかも…
第四十六話 絵画のリハナは誰?
2024年2月27日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ
27歳の誕生日にハナは結婚した。相手は3歳年下のエイジと言うハナの同級生の弟だった。 半年前、その同級生はハナを訪ねて来た。弟が日本へ出稼ぎに行くことになったが、出稼ぎに行くなら結婚してから行った方が良いと言うことになり、お嫁さん探しをしているという。同級生はすぐにハナのことを思い出し、会いに来たのだった。 2年ほど前に失恋したハナは、結婚話にはあまり関心がなかったが、、憧れの日本で暮らす機会だと思い直し、エイジと会うことにした。それからふたりは付き合い始め、日本へ出発…
第四十五話 富士子はジャポネザでよかった!
2024年1月16日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ
尾崎家は大家族だった。長男と次男は結婚し、実家でそれぞれの家族と両親が皆一緒に暮らしていた。 その家で、富士子は生まれた。孫息子3人を持つ祖父は日本の女優の山本富士子の大ファンだったので、初の孫娘に富士子と名付けた。「山本富士子のように美しくて人気者になるといいな」と、家族は期待した。 富士子は明るい子に育った。しかし、高校一年生のとき、クラスメートの男子に「おまえ、オザキと逃げたんだってなぁ?」と、冷やかされた。 実は「フジコ・オザキ」は、ポルトガル語で「わたしはオ…
第四十四話(後編) 「ただいま帰りました」
2023年6月30日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ
前編を読む>> 3年ぶりにブラジルへ戻ったパウロは、日曜日、子供のころから通っていた教会へ一人で向かった。 パウロの家族は教会へ行く習慣がないので、「父さんと母さんはイビラプエラ公園へジョギングに行き、妹たちはまだ寝てるにちがいない」と思っていた。 アーチ型のドアとステンドグラスの窓の教会を久しぶりに見て、懐かしく思った。中に入って、先に来ていた祖母に挨拶をして、横に座った。 礼拝が始まり、讃美歌の時間になった。よく見ると、オルガンの演奏者は妹のカレンだった!しかも…
第四十四話(前編)「ただいま帰りました」
2023年4月20日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ
パウロは中学生のときから心に決めていた。「高校卒業後は、神学校へ入学し、宣教師になる」と。 両親はクリスチャンではなかったが、父方のおばあさんの影響で、パウロはクリスチャンの教育を受けた。 日曜日の朝は、バスに30分乗っておばあさんの家に行き、そこからおばあさんと2人のいとこと一緒に教会へ通った。礼拝は、大人の礼拝と子供の礼拝に分かれていたが、正午になると、皆、食堂に集まり、食事を共にして、楽しい時間を過ごした。特に、パウロは皆と話しをするのが大好きだった。 パウロは…
「バッチャン」は人気の言葉
2023年3月20日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ
わたしがまだ小さい頃、「ラウラのおばあちゃんは遠くに住んでいるのよ」と、母は写真を見せてくれながら、おばあちゃんのことを話してくれました。そして、12歳のとき、初めておばあちゃんの家を訪ねました。 祖父母、独身の叔父4人、おばあちゃんが預かっていた孫娘2人、同じ敷地に家を建てて暮らしていた叔父夫婦と5人の子ども、つまり、いとこだけでも7人も居ました。 サンパウロから10時間以上かけて、ようやく母と私が着くと、玄関で待っていたおばあちゃんが私の方に駆け寄って来て、強く抱き…
第四十三話 朋美もナルトも夢を追う
2023年1月30日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ
日本人の父親と日系ブラジル人の母親を持つ朋美は19歳。 デカセギとして日本へ行った朋美の母親は、はじめは名古屋のパン屋さんで働いていた。そのとき近所の自転車修理店のオーナーに誘われパン屋さんを辞めて自転車修理店で働くようになった。その後すぐに2人は恋に落ち、一緒に暮らすようになった。それから、朋美が生まれて、生活は充実、安定していた。 4年前、とても残念なことに、朋美の父親が肺がんで亡くなってしまった。親子の生活は一変した。両親は正式に結婚していなかったので、自転車修理…