嶋 洋文
(しま・ようぶん)
嶋洋文は戦後の京都で生まれ育ち、その後、東京の国際海運会社に勤めた。彼の祖父母と3人の息子たちは、1907年ごろから順次カナダに移住。父は、1914年にバンクーバーで生まれた。1930年代までに、カナダ残留を選んだ1人の息子を除き、家族は順次日本へ帰国した。
定年を迎えた2007年頃、伯父の正一がバンクーバー朝日の選手だったことを知り、そのきっかけでバンクーバー朝日の研究調査を始めた。現在は、ブリティッシュコロンビア州スポーツ殿堂の依頼を受け、バンクーバー朝日の選手やその家族、関係者からの協力を得て、殿堂メダルを受け取っていない選手やその家族を探すボランティア活動を続けている。
(2024年8月 更新)
この執筆者によるストーリー
内山雄治選手 — その2
2024年9月2日 • 嶋 洋文
その1を読む 内山雄治の経歴 内山雄治は、1895年、父・内山英保、母・シズのもとに長男として生まれました。1913年頃に慶応商工学校(現在の慶応高校)に入学し、ここで野球経験を得たと思われます。同高校は1916年に全国優勝をし、2023年には107年ぶりの優勝を果たしました。生きていたら内山雄治氏はきっと喜んだことでしょう。 また、1914年に慶応大学の野球チームがバンクーバーにやってきた時の歓迎会では、その歓迎会で内山は、当時流行の薩摩琵琶を演奏し、その旨の新…
内山雄治選手 — その1
2024年9月1日 • 嶋 洋文
私とバンクーバー朝日との10年間 現在、アメリカのプロ野球大リーグでは、大谷翔平選手が大活躍をしています。来年にはイチロー選手が米国野球殿堂入りすると言われています。海外で、日本人選手が活躍する姿を見るのは嬉しいものです。 さて、プロ野球ではなくアマチュア野球ですが、カナダで「バンクーバー朝日」という伝説の日系野球チームが、戦前に大活躍を収めました。その功績が認められ、2003年にカナダ野球殿堂入り、2005年にブリティッシュコロンビア州スポーツ殿堂入りを果たしました。…
バンクーバー朝日の発起人、児玉基治
2021年5月12日 • 嶋 洋文
このサイトでもいくつか紹介しているように、多くのバンクーバー朝日の選手たちは、殿堂入りしていたにもかかわらず、本人または家族の消息が分からずその功績が讃えられていなかった。児玉基治は、1914年発足のバンクーバー朝日チームの発起人の一人であり、その4年前に結成されたバンクーバー“ニッポン”チームの発起人でもあった。彼もまた、BC州スポーツ殿堂入りメダルを受け取っていない関係者のひとりであった。 児玉基治は、1877年広島で生まれた。1898年、21歳の時に米国シアトル…
バンクーバー朝日初代選手—近藤与左衛門
2021年4月16日 • 嶋 洋文
戦前に大活躍した カナダの伝説の強豪日系人野球チーム、バンクーバー朝日は、遠い日本ではほとんど知られていなかった。しかし、2003年、2005年の殿堂入りで話題になり、1914年の創部から百周年にあたる2014年、日本映画『バンクーバーの朝日』(石井裕也監督)が制作された。その年、日本よりも早くバンクーバー国際映画祭で初披露され、観客賞を獲得した。 その3年前の2011年2月、多数のバンクーバー朝日選手を輩出した彦根の市役所で北米移民展が催された。その時展示されたバンクー…
ジョージ伊賀:シアトルからのバンクーバー朝日メンバー
2021年2月17日 • 嶋 洋文
2003年、伝説の強豪日系人野球団のバンクーバー朝日がカナダ野球殿堂入りを果たし、2005年には、BC州スポーツ殿堂入りを果たした。しかし、選手や家族の所在が不明のため、多数の殿堂メダルが未渡し状態で残っていた。私の叔父の嶋正一選手も、その一人で、2014年に叔父に代り殿堂メダルをいただいた。私はそれをきっかけに、BC州スポーツ殿堂の未渡しメダリスト選手家族探しを手伝ってきた。そのいくつかの事例をこのサイトでも紹介してきた。 今回は、これら未渡しメダリスト選手の一人だった…
バンクーバー朝日投手、土居健一と家族の物語
2020年11月9日 • 嶋 洋文
バンクーバー朝日がリーグ優勝を果たした1926年、土居健一はバンクーバー朝日チームの投手であった。しかし、元々彼は、バンクーバー島カンバーランドの第五鉱山の日系野球チーム「SUN(太陽)」の選手だったのだ。 この土居健一について詳しく知ることができたのは、小生の友人のノーム伊吹が、健一の長男で親友のジョージ土居を紹介してくれたからであった。 健一が野球選手として最盛期のころ、ジョージはまだ子供だったので、父が実際にプレイする姿については覚えてないという。唯一記憶に残…
初代バンクーバー朝日の児玉選手と田端選手の家族の追加調査 ー その2
2020年10月8日 • 嶋 洋文
その1を読む >> 田端賀一の日本在住の家族 これにて一件落着となったのだが、2019年11月27日東京の田端敬一という方から、次のメールが入った。 嶋様 突然のメールで失礼します。私は、田端敬一と申します。「ニッケイイメージズ」及び「ディスカバーニッケイ」(2018年10月25日)に寄稿されていました、バンクーバー朝日の田端賀一の孫になります。田端賀一には子供が7人(男4、女3)いて、第二次大戦前後で、日本に3人(男2、女1)、カナダに4人(男2、女2)在留す…
初代バンクーバー朝日の児玉選手と田端選手の家族の追加調査 ー その1
2020年10月7日 • 嶋 洋文
カナダの伝説的野球チーム、バンクーバー朝日は、2003年にカナダ野球殿堂入り、2005年にBC州スポーツ殿堂入りを果たした。しかし、1941年に戦争が勃発しチームが解散してから既に60数年たっていたため、選手またはその家族と連絡が取れず、殿堂記念メダルの多くを引き渡すことができないままでいた。 2015年、バンクーバー朝日の最初の選手だった嶋正一を叔父に持つ私は、殿堂入り記念メダルの多くが未渡しの状態であると知り、初期バンクーバー朝日の松宮外次郎会長の孫で彦根在住の松宮哲…
バンクーバー朝日:知られざる殿堂メダリスト家族の捜索
2018年10月25日 • 嶋 洋文
私、嶋洋文は戦後の京都で生まれ育ちました。大学卒業後に東京の国際海運会社に勤めることとなり、サラリーマン人生のほとんどを東京で暮らしてきました。そして、今から約10年前に定年を迎えたのを機に、家族の歴史と足跡を辿りはじめました。 1907年に私の祖父は日本からバンクーバーへ移り住みました。その数年後に、祖父は日本に残していた家族全員をカナダへ呼び寄せました。長男の正一を含む3人息子がカナダへ渡航したのはこの時です。その後、私の父フレッド(Fred)義雄は1914年にバンク…
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