ニッケイ物語 5—ニッケイ語:家族、コミュニティ、文化の言葉
「アリガトウ」「バカ」「スシ」「ベンジョ」「ショウユ」・・・このような単語を、どのくらいの頻度で使っていますか? 2010年に実施した非公式アンケートによると、南カリフォルニア在住の日系アメリカ人が一番よく使う日本語がこの5つだそうです。
世界中の日系人コミュニティで、日本語は先祖の文化、または受け継がれてきた文化の象徴となっています。日本語は移住先の地域の言語と混ぜて使われることが多く、混成言語でのコミュニケーションが生まれています。
このシリーズでは、ニマ会メンバーによる投票と編集委員による選考によってお気に入り作品を選ばせていただきました。その結果、全5作品が選ばれました。
お気に入り作品はこちらです!
編集委員によるお気に入り作品:
- 日本語:
第二のふるさとはブラジル・心のふるさとは日本
筒井 真理奈(著)
- 英語:
ようこそ、みなさん
リンダ・クーパー(著)
- スペイン語:
メキシコの中央学園:日系社会の功績を育んだ種
セルヒオ・エルナンデス・ガリンド(著)
- ポルトガル語:
ガイジン
ヘリエテ・セツコ・シマブクロ・タケダ(著)
ニマ会によるお気に入り作品:
- 星56個
ロンドリーナの「グルッポ・ヒカリ」 ~メンバーが日常で使う日本語~
アルバ・シオコ・ヒノ, ニルザ・マチコ・イワクラ・オカノ, キヨミ・ナカニシ・ヤマダ (著)
このシリーズのストーリー
はやく!はやく!
2016年6月17日 • ウィリアン・タカシ・オキ
「はやく」という言葉をしっかりとした声で何度も言いながら、母は学校に遅刻しないように毎朝私を起こしてくれました。はやくさんも話してました!はやく!彼女はゆっくりするのが好きではないので、私たちに物事を急かすようにと言いました。実際、私の母は今でも「アメリア・ハヤク・ハヤク」として知られています。私は日系三世で、父と母はブラジル生まれ、母方の祖母はブラジル生まれ、父方の祖父母は日本からの移民です。子供の頃、私と兄弟は父方の祖父母から、父のことを「おとーさん」 、母のことを「お…
シンディ・モチヅキの論文:物語の中にある食事、食事の中にある物語。
2016年6月15日 • キャロリン・ナカガワ
霧の立ち込める日曜日の午後、私はイエールタウン マリーナのフェリー乗り場に向かって歩いています。午後 3 時 15 分の到着推奨時間にぎりぎり間に合いましたが、すでに 12 人ほどの小グループが待っています。グループの中には、最近まで博物館で一緒に働いていたモモコさんとマキさん、地元の作家リディア クワさん、そしてもちろん、私たち全員をここに連れてきてくれたアーティストのシンディ モチズキさんがいて、うれしかったです。 シンディのアシスタントが特大サイズのヘッドフォンを渡し…
あなたも?私も!:二世の言語と方言
2016年6月7日 • チャック・タサカ
私は言語学の博士号を持っていませんが、将来言語学を専攻したいという人がこのテーマに興味を持ってくれることを願っています。ハワイでは、1868年に約150人の日本人移民が最初の船に乗ってサトウキビ労働者としてこの島にやって来ました。彼らは「元年者」と呼ばれていました。しかし、それは失敗に終わりました。彼らは都市住民であり、本当の農業労働者ではありませんでした。元年者のほぼ3分の1は、労働条件のためにすぐに日本に帰国しました。1882年、米国がハワイを掌握すると、中国人排斥法が…
メキシコの中央学園:日系社会の功績を育んだ種
2016年6月3日 • セルヒオ・エルナンデス・ガリンド
メキシコ中央学園は、この国の日系人及び非日系メキシコ人の児童や学生に日本語や日本文化を72年間にわたって教えてきた。この学校はメキシコシティー中心部のかなり賑やかな地区にある。これまで絶え間なく日本語教育を継続できたのも、多くの人々の努力と辛抱強さの賜物である。日本人パイオニアたちがこの学校を1944年に開校して以来、メキシコ生まれの日系子弟の未来を築くために日本語教育を施すことは大きな責務だと考え、その信念を貫いた結果である。 中央学園は、戦時中にできた学校である。メキ…
港学園ナウ
2016年6月1日 • 今村 亮
2016 年度湊学園卒業生の卒業式が 3 月中旬にサンディエゴで、4 月初旬に京都で行われました。ここでは、生涯にわたる物語と、関係者全員の一致団結した奉仕と献身の成果をご紹介します。港学園は、1978年にサンディエゴに主に日本人駐在員の子弟を対象にした日本語補習校として設立されました。駐在員の駐在期間は3年から4年がほとんどで、その間、親にとって最大の悩みは帰国後に子どもが困難に直面するかもしれないということでした。補習校の使命は、生徒がアメリカの学校に通いながら日本の文…