インタビュー
父の影響(英語)
(英語)子供だった私は、お父さんがいつも家族のそばを離れてしまうことをなんだかもどかしく思っていました。父は、私たちが収容されていた両方の収容所でブロックのまとめ役をしていました。最初に連れて行かれたのがアーカンソー州ローワー収容所で、忠誠心調査の後、カリフォルニア北部のツールレイク収容所に移されました。
父が関わる活動は、いずれの収容所でも私には他人事にしか思えませんでした。ローワーの収容所は雨が降ると水浸しになり、1日に3度も食堂に避難しなければなりませんでした。そのための移動は老人や高齢者には負担が大きく、ぬかるみに足をとられ、その足を引っこ抜くのは本当に骨が折れました。子供のいる母親たちは、たくさんの子供たちを食堂に集めるのに本当に苦労していました。収容所には板張りの歩道が必要になり、設営のための人員のとりまとめを父が行いました。父はいつもコミュニティのための会合やプロジェクトに参加していました。
私は成長するにつれ、あることを理解するようになりました。収容所からの解放後、両親は生活再建のために多忙だったにもかかわらず、父はコミュニティのプロジェクトや集まりに率先して参加していました。そのような姿は私たちの中に浸透し、いつの間にかボランティア精神が吹き込まれていました。リトルトーキョーがボランティア精神を育んだのです。
日付: 2015年2月3日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: ジョン・エサキ、ジャニス・タナカ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
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アーカンソー州にあるジェローム転住センターへ汽車による移動(英語)
カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)
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