インタビュー
世間にカミングアウト(英語)
(英語)様々な社会運動に積極的に参加する中、私はある一つの問題に関しては沈黙していました。それは私の根源にかかわる問題でした。私がゲイであるということです。私は俳優としてのキャリアを追求したかったのです。当時の私にはカミングアウトすることがいかに愚かなことかわかっていました。キャリアを棒に振ることになっていたでしょう。だから沈黙を守ったのです。
しかし、エイズの惨害に見舞われ、友人たちも病気になり痩せ衰えていきました。幽霊のような姿になり、亡くなっていきました。残酷な時代でした。私は俳優としてのキャリアを重ねながら、エイズ撲滅運動を金銭的に支援していました。ブラッドと私は、エイズウォークで行進しました。でも、ストレート・アライ*の立場での支援でした。私はまだ事実を隠し、ゲイであることを公表していませんでした。カリフォルニア州議会が思い切った行動に出るまで、私は沈黙を守りました。
マサチューセッツでは2004年に同性婚が可能になりましたが、それは司法判断によるものでした。カリフォルニアでは、カリフォルニア州議会の上院および下院両院で同性婚容認法案が可決され、州法として成立させるには、最後に知事の署名のみ必要でした。その時の知事が映画スターのアーノルド・シュワルツェネッガーでした。彼は、選挙運動の時から「私はハリウッド出身でゲイやレズビアンと一緒に働いてきた。私の親友にはゲイの人たちもいる。」と言っていたので、当然署名するだろうと思っていました。
しかし彼は、署名を拒否したのです。支持母体である共和党右派におもねったのです。私は怒りに震えました。とはいえ、私はそれに対して何の行動も起こしていませんでした。その夜、私たちは深夜のニュースを見ていました。大勢の若者たちがサンタモニカ大通りで声を上げ、アーノルド・シュワルツェネッガーの署名拒否を激しく非難していました。知事への怒りを爆発させていました。しかし、私たちといえば家でくつろぎ、テレビのニュースを見ていました。それで私たちは話し合い、私は声を上げる必要があると判断しました。本当にもう一息でしたから。そして声を上げるには、私自身の発言が本物でなければ意味がありません。私は初めてマスコミの前で、ゲイの男性として発言しました。このことはさらに、私の民主主義に参加する行為となりました。
*LGBTの権利の擁護や社会運動の支援、男女同権やホモフォビアへの異議を投げかける異性愛の人々を指す言葉。
日付: 2015年2月3日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: ジョン・エサキ、ジャニス・タナカ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
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