インタビュー
真珠湾攻撃の日(英語)
(英語) 中心通りであるパシフィック・アベニューを運転していた時、それまでは見たことがなかったのですが、兵士や海軍の軍人がヒッチハイクして各々の宿舎に向かっていたんです。サンペドロには海軍基地や、フォート・マッカーサー軍基地もありました。私は「こんな光景は見たことがないわ。」と思いました。軍人がヒッチハイクですよ。そして偶然バスク人の、スペイン系ですね、同級生を見つけて、彼もヒッチハイクしていたんです。だから私は彼を呼んで、こちらに来るよう言ったんです。
「何が起こったの?」と私が聞くと、彼は車に乗り込んだんです。だから、私は「どこに向かえばいいの?」と聞いだんですが、彼は「ニュース報道とかラジオを聞いてないの?」と言うので「聞いてないよ。何があったの?」というと、「日本がハワイの真珠湾を爆撃してる。だからみんな警戒態勢に入ったんだ。」と彼は言うんですよ。そしてフォート・マッカーサー軍基地に連れて行くように頼まれて、私はそうしたんです。私はただ困惑して、日本がハワイ、というか真珠湾を攻撃したなんて信じられなかったですよ。
その後、私は教会に行ったんですが、その時初めて妙な気持ちを感じました。それまで私は、自分は他の白人のアメリカ人と同じだ、という気持ちでいましたし、自分は生粋のアメリカ人だと思っていたんです。でも教会に行ったら、みんなが私を見る目は、それまで知っていたアメリカ人を見る目とは違うんです。私の生徒達でさえ、なんと言えばいいか、どうしたらいいかわからないという様子で、日本人である私に対してどうリアクションを取ればいいかわからない様子だったので、私はみんなとは違うんだ、ということを感じたんです。それに教会全体がどうしたらいいかわからない、という感じでしたしね。だから日曜学校は早めに切り上げられました。その後、私がいつもそうしていたように、生徒の子供たちを一斉に車に乗せて一人ひとり家まで送り届けたんです。子供たちを車に乗せている間も何か違っていて、たぶんみんなアメリカの領土が爆撃された、ということをちゃんと知っていたからなんでしょうね。
日付: 2003年6月16日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: カレン・イシズカ、アキラ・ボック
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
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