ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1083/

フォート・マクラレンの兵士たち(英語)

(英語)第1800大隊に属していた頃、僕らがどのようにここに行き着いたか等、互いのいきさつを尋ねることはありませんでした。誰がそこに居て、何故そこに居るか知ったのは戦後でした。例えば、フォート・マクラレンやフォート・ライリーといった基地では、多くの日系二世兵士が隔離されていました。 ルーズベルト大統領がフォート・ライリーを訪れた時、二世兵士全員が格納庫に入れられるということがあったそうです。ホリ氏は、当時の様子をスケッチで残していました。僕は、彼のインタビュー記事を読みましたが、証言によると、格納庫の中まで行進する間、外からマシンガンや戦車が見えたそうです。格納庫の中に入ると、武器を身につけた幹部たちは、彼らを端に座らせ、真っ直ぐ前を見て言葉を発しないよう命じたそうです。手洗い休憩に行きたい者のみ手を上げるように、ということでした。

ホリ氏によると、アイダホの農家出身の若い二世たちにとって、それは初めて受ける差別で、彼らはただ涙を流していたそうです。そして、帰米たちは激怒していました。4時間後、ルーズベルト大統領が去った後、日系人兵士たちは元の場所に戻りましたが、皆静まりかえり、ほとんど誰も口をきかなかったそうです。 その後、フォート・マクラレン基地に移動される前ですが、帰米たちは、「俺はどうするか決めた。奴らは俺たちを日本人として扱う。それなら日本人になってやろうじゃないか。こんな国どうにでもなれ。俺はこんな国のためには絶対に戦わない」と宣言しました。その後、彼らはフォート・マクラレン基地へと移動となり、第442連隊戦闘団への入隊のための訓練を受けることになりましたが、大勢が反抗しました。その後の扱いについて、彼らには選択肢がありましたが、強く反対した者は裁判にかけられ、投獄されました。


工兵第1800大隊 第442連隊戦闘団 軍隊 (armed forces) フランクリン・ルーズベルト 軍隊 大統領 アメリカ合衆国 アメリカ陸軍 第二次世界大戦

日付: 2005年3月25日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ソージン・キム

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

セドリック・シモ氏は、1919年に生まれ、ロサンゼルスの多人種が混在する地区ボイルハイツで育ちました。シモ氏は、ボーイスカウト活動や剣道に取り組み、日系人スポーツクラブのクーガースでも活発に活動しました。シモ氏は、カリフォルニア大学バークレー校の大学院に在籍していましたが、真珠湾攻撃の次の日、徴兵令状を受け取りました。彼は、アメリカ陸軍情報部語学学校への配属を希望しました。しかしながら、休暇中にマンザナーに強制収容された母親への訪問を禁じられたことに激怒し、外国戦線への参加を拒否しました。その結果、彼は、工兵第1800大隊に配属されました。この部隊には、疑いをかけられたドイツ系、イタリア系、日系人が配属され、戦闘隊が訓練中に壊した道路、橋、フェンスの修復工事にあたりました。シモ氏は、工兵第1800大隊を名誉除隊した後、ボイルハイツへ戻り、ホンダに就職し、輸出担当部門で副代表となりました。

2008年11月20日、日本政府は、日米貿易摩擦が問題となった時期、当時ホンダで働いていたシモ氏が、両国間の貿易推進に寄与したことを評価し、旭日双光章を授与しました。

2020年4月、100歳で亡くなりました。(2020年4月)

Robert Katayama
en
ja
es
pt
ロバート・カタヤマ

日記をつけるように命令され、後にFBIへ押収(英語)

第2次大戦中に第442連隊に所属していたハワイの二世

en
ja
es
pt
Yuri Kochiyama
en
ja
es
pt
ユリ・コチヤマ

真珠湾攻撃の日(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

en
ja
es
pt
Yuri Kochiyama
en
ja
es
pt
ユリ・コチヤマ

442連隊のゴッドファーザー、フィンチ氏(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

en
ja
es
pt
Grayce Ritsu Kaneda Uyehara
en
ja
es
pt
グレース・ウエハラ

収容所の補償運動の達成と教育(英語)

(1919 - 2014年)日系アメリカ人の強制収容所に対する補償運動や公民権運動で活躍した活動家。

en
ja
es
pt
Wakako Nakamura Yamauchi
en
ja
es
pt
ワカコ・ヤマウチ

真珠湾攻撃後のカリフォルニア州オーシャンサイドでの日系アメリカ人学生としての経験(英語)

アーティスト・劇作家。(1924 - 2018年)

en
ja
es
pt
Roy H. Matsumoto
en
ja
es
pt
ロイ・H・マツモト

日本兵捕虜の中にいた自分の親戚(英語)

カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)

en
ja
es
pt
Richard Kosaki
en
ja
es
pt
リチャード・コサキ

収容所への442連隊の兵士の訪問(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

en
ja
es
pt
Richard Kosaki
en
ja
es
pt
リチャード・コサキ

第2次大戦中の陸軍語学学校での教鞭(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

en
ja
es
pt
Richard Kosaki
en
ja
es
pt
リチャード・コサキ

第2次大戦後の東京(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

en
ja
es
pt
Richard Kosaki
en
ja
es
pt
リチャード・コサキ

第2次大戦後の人々の変化(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

en
ja
es
pt
Frank Yamasaki
en
ja
es
pt
フランク・ヤマサキ

ピュアラップ集合センターで失った青年期の能天気さ(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

en
ja
es
pt
Frank Yamasaki
en
ja
es
pt
フランク・ヤマサキ

ほこりだらけのミニドカ収容所の記憶(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

en
ja
es
pt
Frank Yamasaki
en
ja
es
pt
フランク・ヤマサキ

徴兵拒否の決意(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

en
ja
es
pt
George Azumano
en
ja
es
pt
ジョージ・アズマノ

真珠湾攻撃後にアメリカ軍から除隊(英語)

アズマノトラベル創設者

en
ja
es
pt
George Katsumi Yuzawa
en
ja
es
pt
ジョージ・カツミ・ユザワ

JACLの全米書記マイク・マサオカの1942年のスピーチへの反応(英語)

戦後ニューヨーク市に移住した二世の花屋。日系アメリカ人の公民権運動で活躍。(1915-2011年)

en
ja
es
pt