https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1140/
天野博物館事務局長(1948年生)
実はその天野がまだ元気な時に、ほとんど週末っていうと、チャンカイの、我々遺跡に行ってまして。そこのところに私も何度も天野と通っていたチャンカイ時代の遺跡がある場所なんですね。チャンカイ時代の。そこに小さな山がね、こう二つ、こう瓢箪のようになってる山がありまして、それは古い遺跡だということは分かっていたんです。天野も何度もそこを通って、上がっては降りたりしてるんですけども、ついに天野は、それがその三千年ぐらいの古いものであろう、ものだろうけれども、自分にとっては関心が、対象外の、関心外の文化だと、時代だということでずっと無視してきたんです。
で、ところが、そこがあの二年ほど前に、偶然なことで、盗掘の跡が見つかりましてね。その断面を見ていきますと、シクラスと呼ばれてる葦で作った、紐状の網がある、建築ワークに使われてるんですが、それがね大量に、そのマウンドの下にあるっていうことが初めて分かったんですね。ところがそれが日本で鑑定をしてみたら、全く予想外の、えー4700年プラスマイナスいくら。約5000年前の数字が出てきて、それで我々仰天したわけなんですね。
っていうのは、それほど古い時代に、チャンカイに、その大きな、おそらくそれは、神殿だと思われるんですけども、階段状のピラミッドの構造を持ってるってことまでは、現時点で、発掘で分かってきてるんですが。そういうものがあるということが、全く我々予想してなかったし、それだけ古いものがあるはずがないと思っていた。ところが、そのカーボンフォーティーンの結果は、我々の想像よりも約2000年も遡るというとんでもない数字だったわけで。これでびっくりして、我々緊急発掘調査を始めて、今本格的な発掘を始めているところなんですが。
・・・ 今までのアンデスの文明っていうのは約3000年ぐらい前に、紀元前の1000年ぐらい前に本格的な文明が始まったということが、どこの教科書にも書かれてるわけですけども、その我々がっていうか、天野がいつも通っていた、そのチャンカイという谷では、これは世界で初めて、一番最初にその証拠を我々が見つけることになるわけですので。まぁ一種の、天野の、僕はお導きというか、天野から我々にくれたプレゼントではないかと思ってる。天野とああいうところに通っていなければ、今度の発見は単なる山のうちの一つで、そういう発見に結びつけることはなかったと思うんですがね。
日付: 2007年5月7日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: 西村 陽子
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
1948年生まれ。東京出身。早稲田大学教育学部卒業。数年後、ペルーリマ市へ移住。スペイン語を学ぶかたわら、天野博物館を創設・経営していた祖父の天野芳太郎氏の仕事を手伝う。その後、日系ペルー人2世と結婚。現在は、ペルーの文化研究家、土器・織物の収集・研究家、天野博物館の事務局長として発掘作業、博物館の運営に携わる。また、ペルーの民間外交官として、政府要人、経済人、マスコミ取材、TV番組制作などのアテンドも行っている。年に数回は日本を訪れ、全国各地で講演やパネルディスカッションを行うなど、広い分野において活動を行っている。(2007年5月)
捕虜交換船で強制帰国させられた天野芳太郎
天野博物館館長 (1929年生)
戦後、南米へ密入国を試みた天野芳太郎
歴史好きだった天野芳太郎
天野芳太郎の日本でのビジネス
天野芳太郎との出会い
天野芳太郎のマグロ漁船
チャンカイ文化に魅せられた天野芳太郎
日本語をより学ぶことになったきっかけ
日本語とスペイン語両方を使って生活
捕虜交換船で戻ってきた父
戦争花嫁(1925年生)