ジャーナルの検索
en
ja
es
pt
第11回 不調ながら新たな試みを模索
南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。60代になり体調不…
川井 龍介 • 2019年6月28日
en
ja
es
pt
en
ja
es
pt
第4回 記憶と絆つなぐぶらじる橋 ~ 文岡賀津子さん(宇検村出身)
「宇検村に伯国橋(ぶらじるばし)あるでしょ。あれ、うちの父たちがつくったんです。」と話すのは文岡賀津子(74)さん。「前は木の橋で台風で大水が出たら、いっつも流されるから、だからあれ、ちょっと太…
加藤 里織 • 2019年2月25日
en
ja
es
pt
第2回 大寒波と交通事故
20世紀初頭、フロリダ州南部に出現した日本人村大和コロニー。一農民として、また開拓者として、京都市の宮津から入植した森上助次(ジョージ・モリカミ)は、戦前にコロニーが解体、消滅したのちも現地に留まり…
川井 龍介 • 2019年2月8日
en
ja
es
pt
en
ja
es
pt
榎園家、奮闘と決意の模範
近年ブラジルを悩ませている潜伏性の危機に直面しているが、失業率が13%以上(非活動人口約1400万人)に達した過去6年間ではより深刻だったが、国家の優れた業績のおかげで状況はさらに深刻にはならなかっ…
カツオ・ヒグチ • 2017年12月19日
en
ja
es
pt
en
ja
es
pt
季節の移り変わり: 父と娘、家族経営の農場
1980年代半ば、私は、第二次世界大戦中にアリゾナ州中南部のヒラリバー強制収容所で日系アメリカ人が体験した強制収容所について調査していたとき、この主題についてデイビッド・マス・マスモトが1982年…
アーサー・A・ハンセン +1 • 2017年5月3日
en
ja
es
pt
家を出て:日本の写真花嫁の生活
19 歳のとき、カナダ以外での生活経験がないまま、仕事のために 1 年間日本に移住しました。日本は私にとってまったく新しい世界でした。私は多くの新しい経験、新しい言語、そして最も興味深く衝撃的だった…
レーン・マクガリティ • 2016年11月22日
en
ja
es
pt
en
ja
es
pt
著名な日系アメリカ人
来年初めにチュラビスタに4750万ドルの予算で開校する46番目の小学校には、村岡三郎の名前が付けられる。これは日系アメリカ人移民を称えて建てられた最初の公立学校になるかもしれない、日系アメリカ人にと…
今村 亮 • 2016年6月28日
en
ja
es
pt
en
ja
es
pt
我々の人生: 現在と過去そして未来
人生劇場で私たちはいろいろな物語の主人公になりますが、多くの場合、無名の役者のままで人生を終えます。
母方の祖父母は大阪出身、父方の祖父母は東京出身。コーヒー園で働くためにブラジルへ移住する193…
キヨミ・ナカニシ・ヤマダ • 2015年9月22日