インタビュー:ジェロ

Licensing

演歌歌手。1981年9月4日ペンシルバニア州ピッツバーグ生まれ。日本人の祖母がアフリカ系アメリカ人と結婚。

このアルバムでは、2010年3月30日に行われたインタビューからの15このクリップを紹介します。(略歴を含む)

1. 母と祖母の影響で日本へ興味を抱く

2. 母と祖母を見て学んだ日本の伝統

3. 伝統を大切にするということ

4. 家族以外の人前で歌うことはなかった演歌

5. 日本へ行くこと

6. 演歌歌手になることを夢見て

7. ファッションとアイデンティティ

8. 人種や伝統を超えて、人は夢を追うべき

9. 歌詞の意味を伝えたい

10. 日系三世として

11. 故郷のピッツバーグで、日本での生活を夢見ていた

12. 自分らしく歌うためのスタイル

13. 「晴れ舞台」

14. 紅白へ出場

15. アメリカでの初コンサート

* このインタビューは、ディスカバーニッケイのインタビューセクションへもアップされています。

Slides in this album 

母と祖母の影響で日本へ興味を抱く

僕の母と祖母は、時々日本の話をしていました。いろいろな楽しかった思い出を語り合っていましたね。母は、侍映画も大好きで見ていました し、今でもよく見ているようです。子供の頃のことやいろいろなことが思い出されるのだと思います。でも、2人とも僕に日本語で話しかけたりはしませんでし た。僕は日本に興味があったし、それ以上に日本語を話すことに興味があったので、中学生になったら自分で日本語の勉強を始めました。そして、高校生になっ てからは、日本語のクラスに通うようになりました。

Jero Interview Clip #1: Interest in Japan stemmed from his mother and grandmother’s stories
提供: editor

母と祖母を見て学んだ日本の伝統

母は、「これはこんな風にやるものよ」などと僕に教えることはなく、僕に日本の習慣を押し付けることもありませんでした。それは祖母も同じ でした。僕はただ、祖母の日々の動作を見たり、母のすることを見ていました。僕は、日本の伝統を2人から受け継ぎ、2人の行動を通して学びました。それ は、玄関では靴を脱ぎ、箸でご飯を食べる、という日常的なことでした。

Jero Interview Clip #2: Learning Japanese traditions by observing his mother and grandmother
提供: editor

伝統を大切にするということ

僕は、自分が受け継いだ伝統を誇りに思います。日本のことを隠そうとしたことはありません。「ミックスなの?」とか、人種や国籍のことを聞 かれれば、「そうだよ、日系だよ」と誇りを持って答えていました。そして、日本語を少し話せることも僕の自慢だったし、他の人に日本語を話して聞かせるの も好きでした。もちろん僕の中の日本は4分の1だけですが、それでも僕の一部であることは変わらないし、僕は、僕自身が受け継いだ日本を常に大切にしてき ました。

Jero Interview Clip #3: Embraces his Japanese heritage
提供: editor

家族以外の人前で歌うことはなかった演歌

僕は、家族以外の人前で演歌を歌うことはありませんでした。僕にとっての演歌は、家族とだけ共有するものでした。演歌は、アメリカの音楽と は全然タイプも違うし、言葉も違うので、自然にそうしてきたという感じです。もし友達に歌って聞かせていたとしても、彼らには全然理解できなかったでしょ うし、僕に歌詞の意味を聞いてきたと思います。でも、当時の僕には、歌詞をどう説明していいかわからなかったし、それに子供だったから、まあ、周りの子供 たちに馬鹿にされるんじゃないかとか、そういう心配もあったんですね。とにかく、当時の僕は、家族以外の人たちに歌って聞かせようなんて思いもしませんで した。

Jero Interview Clip #4: Never sang Enka outside the family
提供: editor

日本へ行くこと

僕は、生まれてから日本へ行くまでずっとピッツバーグに住んでいたので、1度にあんなに大勢の人たちを、しかも1箇所で見たことはありませ んでした。新宿、渋谷、六本木へ行けば大勢の人たちがいて、みんな一斉に電車に乗り込んだりして、僕にはショッキングな光景でしたね。ピッツバーグも都市 ですが、大都会というわけではありません。

日本の人口の多さに、僕はまず本当に驚きました。僕は、小さい頃から日本食を食べ、日本文化に親しんできました。そしてようやく日本の地を踏み、日 本語の勉強を始めることになりました。当時、僕が日本でどうしてもやりたかったことは、演歌のCDを買い、たくさん演歌を聴き、コンサートへ行くことでし た。カラオケに行くこともそうです。もっと音楽の勉強をしたかったし、音楽漬けになりたいと思っていました。それは、日本で何よりも楽しみにしていたこと の1つでした。

Jero Interview Clip #5: Coming to Japan
提供: editor

演歌歌手になることを夢見て

演歌歌手になることは、5歳からの夢でした。でも、「エンカ」という言葉自体アメリカでは知られていないので、自分にチャンスがあるなんて 夢にも思いませんでした。僕が日本語を話せるようになり、そして話すことに自信を持つようになると、その夢は、僕の頭から離れなくなりました。その時、僕 に人生のターニングポイントが訪れたのです。それは、僕が初めて日本へ来た15歳の時と、大学の交換留学生として来た時のことです。演歌歌手になること は、小さい頃からずっと夢見ていたことですが、アメリカではかなわないこともわかっていました。だから、とにかく日本で試すだけ試してみよう、夢を追って みよう、と思ったのです。2003年、僕は日本へ渡りました。働きながら時間のある時に音楽活動をし、全て自分でやってきたので、僕は少しずつ成長するこ とができました。一歩ずつ前に進んだ結果、今の僕があるのだと思います。

Jero Interview Clip #6: Dreamed of becoming an Enka singer
提供: editor

ファッションとアイデンティティ

僕が何を着るか、それは僕が何者か、ということに深く関わっています。僕の周りの人が、僕にわざとこういう格好をさせているんじゃないか、 などと言う人たちも多いようですが、これが僕のスタイルなんです。僕はステージに立つ時、僕ではない別の人になりたいなんて思いません。僕は、アメリカで 生まれ育ったアメリカ人なので、日本人よりもアメリカ人としての意識の方が強いのです。でも、演歌を歌うことも、僕の一部です。僕は、常に演歌に寄り添っ て生きていますから。ステージに立つときには、演歌を大切にすると同時に、僕自身のアイデンティティも守りたい、そう思っています。それに僕は、普段もこ ういうファッションだし、一人の時も家族と出かける時も、毎日こういう格好なんです。

Jero Interview Clip #7: His clothes are part of his identity
提供: editor

人種や伝統を超えて、人は夢を追うべき

僕は、自分が演歌歌手であることを誇りに思っています。僕は、最初のアメリカ人演歌歌手であり、最初のブラック・アメリカン演歌歌手であ り、最初のアフリカ系アメリカ人演歌歌手です。今までも何通りもの呼び方をされてきましたが、どれも同じような意味ですね。間違った言い方をされたわけで もないし、(演歌歌手になったことを)僕は誇りに思っているので、そんな風に呼ばれることを否定的にとらえていません。自分とは違う人種や伝統に属してい ることでも、それが自分のやりたいことなら、僕のようにとにかく夢をあきらめないで追いかけてほしいですね。

Jero Interview Clip #8: Hopes everyone pursues their dreams regardless of race or heritage
提供: editor

歌詞の意味を伝えたい

僕が演歌から感じるのは、人間らしさです。歌や歌詞の内容は、とても人間らしく、人の感情に溢れています。そんな歌詞を聴いたり誰かが歌う のを聴けば、聞き手の中で何かが起こります。幸せな気持ちになったり、悲しくなったり、過去のことを思い出したり、未来を思います。そして、歌を聴いて涙 したり、笑顔になったり、本当に様々な気持ちに包まれるのです。たくさんの感情豊かな曲にふさわしい歌い方をするために、僕がアーティスト、そして歌手と してステージに立つ時、歌詞に描かれている世界を正しく表現できるよう細心の注意を払います。そして、できるだけ観衆に伝わるように歌います。僕は、まず は歌詞の世界観を自分の中に取り込み、自分が何を歌おうとしているのか、よく考えます。そして、頭の中に歌詞のイメージを保ちながら、人々の耳に歌が届 き、何かを感じてもらえるよう歌います。それは、素晴らしいことです。

Jero Interview Clip #9: Trying to convey the meaning of the songs
提供: editor

日系三世として

そうですね、僕は「日系三世」なんですね。いい響きだと思います。僕にも受け継がれている日本文化を大切にしたい、そう思います。

Jero Interview Clip #10: Nikkei Sansei
提供: editor

故郷のピッツバーグで、日本での生活を夢見ていた

僕の出身地はピッツバーグですし、故郷といえば、ピッツバーグを想います。でも、僕の生活は日本にあると強く感じています。大学生の頃、卒 業後に自分が何をしたいか考えても、アメリカには自分の居場所がないような気がしていました。大学に居る時も、勉強している時も、将来について考える時 も、僕の中には常に日本がありました。日本行きを決めた後は、よし、自分は日本で演歌歌手を目指そう、と決めていました。でも、もし演歌歌手になれなくて も、大学で勉強したことを日本のどこかで生かそうとも考えました。僕は、日本に住みたいと思っていたし、日本で生活しながら日本語が上手くなりたいといつ も思っていました。

Jero Interview Clip #11:Considers Pittsburg his home, but always wanted to live in Japan
提供: editor

自分らしく歌うためのスタイル

自分のスタイル、このヒップホップスタイルなんですけど、本当に普通毎日生活しているうちに、いつもこのスタイルで生活していて、このヒップホップスタイ ルのまま演歌を歌いたいと僕が最初からお願いしたのですけども。何故かと云うと、やはり、いつもステージに立つ時に、自分らしく演歌を歌いたいということ を、自分に決めて、それを守りたかったんですよね。

Jero Interview Clip #12: Singing the way I sing
提供: editor

「晴れ舞台」

この曲は、そうですね、デビューしてからもちろんおばあちゃんの話もあるんですけども、お母さんもずっと僕のことを1人で育ててくれて、日本の事とか余り しゃべりたくなかったんですね。いろんな辛い思い出があったと思うんですけど。それを知った上で、聞いたりはしてて、でも余り詳しく教えてくれなかったん です。でもなんとなく、辛かったなと思って、いろんな辛い思いがあって、こうして、僕のことを一生懸命育ててくれて、こうして演歌歌手になって、その感謝 の気持ちを込めた歌を歌ってあげたいなと思って。はい。

Jero Interview Clip #13: "Harebutai"
提供: editor

紅白へ出場

僕は82年の紅白からずっと見てまして、毎年必ず日本の親戚からビデオテープを送ってくれて、家族とみんなでいつもビデオテープを見ていたので、本 当に紅白と云う番組を非常に大切にしてました。なので、デビューして一番最初の目標が、やっぱり紅白に出ることだったんですね。おばあちゃんにいつも、そ の年のアーティストの方々は紅白に出れたら、その一年の成功の証と云う意味なので、是非成功して、紅白に出たいなと思って。

新人賞もいただいたり、紅白にもデビュー年に出させていただいて、どうかお母さんもおばあちゃんも連れて行きたいなと思って、僕の衣装におばあちゃ んの顔の絵を描いていただいて、でも僕もお母さんも客席で見てて、おばあちゃんと一緒に紅白に出れたという、そういう設定だったので非常に思い出になりま した。

Jero Interview Clip #14: Getting on Kohaku
提供: editor

アメリカでの初コンサート

ファンの方の違いというよりも、もちろんアメリカで日系の方もいらっしゃいますし、アメリカの方も、サンフランシスコのコンサートにもいらしたと思うの で、やっぱりアメリカでやるのが、今回初めてのコンサートだったので、本当に僕の歌声がちゃんと通じるのかなと云う不安はあったんですけど、本当に皆さま の拍手で、ものすごく伝わってきましたので、とても気持ちよかったです。

Jero Interview Clip #15: The first concert in the United States
提供: editor

プロフィール:ジェロ (ジェローム・チャールズ・ホワイト Jr.)

ジェロ(本名ジェローム・チャールズ・ホワイト・ジュニア)は、1981年9月4日ペンシルバニア州ピッツバーグで生まれました。アフリカ系アメリ カ人のジェロの祖父は、第二次大戦中に兵士として来日し、日本人の祖母と出会いました。2人は結婚し、娘のハルミが生まれ、その後一家は祖父の故郷のピッ ツバーグへ渡りました。ジェロの両親は、彼が子供の頃離婚し、彼は日本文化の影響の強い中で育ちました。ジェロが演歌と出会ったのは、祖母の影響でした。 そして彼が演歌を歌い始めたのも、祖母の勧めがあったからでした。2003年、ピッツバーグ大学を卒業したジェロは、日本へ渡りました。英語講師やコン ピュータ技師として働きながら、プロの歌手を目指し、祖母が大好きだった紅白歌合戦にいつか出場できるよう努力を重ねました。紅白歌合戦への出場は、ジェ ロが祖母と交わした約束だったのです。

伝統的な演歌と最近のヒップホップを組み合わせたジェロのスタイルは、下火だった演歌界に新たな生気を与え、さまざまな年齢層のファンを魅了しまし た。彼が交わした祖母との約束は大勢の人々の胸を打ち、ジェロの紅白歌合戦の出場は、2008年大晦日のハイライトとなりました。同年、彼は日本レコード 大賞の最優秀新人賞を受賞し、日系の間でも人気歌手となりました。2010年にアメリカで開催したコンサートのチケットは、すぐに売り切れとなりました。

(2010年3月)

Jero (Jerome Charles White Jr.)
提供: editor

Album Type

Video interview

editor — 更新日 6月 28 2021 1:49 a.m.


最新情報を入手

最新情報メールの配信登録

Journal feed
Events feed
Comments feed

プロジェクトをサポート

ディスカバー・ニッケイ

ディスカバー・ニッケイは、互いにネットワークを広げ、日系の体験談を分かち合う場です。プロジェクトを継続し、より良いものにしていくためには、皆さまのご協力が不可欠です。ご支援お願いします!

サポートの方法>>

プロジェクト企画 全米日系人博物館


日本財団