https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/262/
日本人移民の衣服専門家・研究者
(英語)私にとって、砂糖精製所のすぐそばのプランテーションが生活の中心でした。毎朝(プランテーション)労働者たちが汽車に乗って(働きに)いくんです。彼らをよく観察してましたよ。私は毎朝父と同じくらいの時間に起きてました。4時ごろだったと思います。トイレに行くために、父を階段で待ってたんです。トイレは母屋から随分離れた屋外にありましたから。父を待っている間、労働者たちが弁当箱をブラブラさせながら、裏の未舗装の道を歩いていくのをよく見ていました。あなたのおじいさんみたいじゃないかしら、青いツナギを着てたので、配管工だったと思います。配管施設や砂糖工場で働いている人は、みな青いツナギを着てたので、もしかしたら砂糖工場で働いてたのかもしれませんけど。ともかく、毎朝彼が裏道を通ってくのを眺めていたんです。本当に優しい人で、父の良い友人でもあったんです。プランテーション労働者や大工は、皆白いツナギを着ていましたね。
そして女性。どうやっていたのかわからないけれど、3時に起きて夫のお弁当を作って、しかも二段重ね弁当。そして夫のために朝食の準備・・・味噌汁を作って、ご飯を炊くんです。だから女性たちは本当に早く起きなくてはいけなかったんですよね。そして何枚も服を着て。どうしたらあんなに速く服を着れるのか、私にはわからないですけど。だって服だけでもジャケット、腰帯、スカート、脚絆(すねあて)、レギンス(スパッツ)、手差しがあってどれも時間がかかるんですよ。それなのに、彼女たちはいつも5時半の汽車にはちゃんといるんです。暗いうちに起きなければいけなかったんですよ。
日付: 2004年2月19日
場所: 米国、ハワイ州
インタビュアー: リサ・イタガキ、クリッシー・キム
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
バーバラ・カワカミ氏は1921年熊本県に生まれました。彼女の家は封建時代からの農家で、そこで350年余りの歴史を持つ旧家でした。ハワイのオワフ島にあるオワフ砂糖農園で育った彼女は、仕立て屋・家政婦として働いていました。しかし、50歳を過ぎた頃、高校進学を決意し、その後テキスタイル・アンド・クロージング(繊維・衣服)の理学士号(BS)とアジア学の文学修士号(MA)を取得しました。カワカミ氏は日本人移民の衣料を専門とするストーリー・テラーであり、学者でもあります。(2004年2月19日)
家族の反対をおしきりボブと結婚(英語)
日系カナダ人二世。池坊トロント支部を設立。(1920年生)
日系アメリカ人家庭に育つ(英語)
日本在住のハワイ生まれの格闘家(1967年生)
1942年10月の妹の死(英語)
戦後ニューヨーク市に移住した二世の花屋。日系アメリカ人の公民権運動で活躍。(1915-2011年)
学校と家で学んだ日本語(英語)
サンノゼ太鼓の共同設立者・支配人 (1951年生)
別々に収容された家族(英語)
研究者、活動家(1924-2018年)
家族優先(英語)
Kobayashi Group LLCの.創設者 (1944年生)
白人家庭に受け入れられて(英語)
戦前のワシントン州スポケーンで家族経営していたホテルでの鉄道労働者たちとの思い出 (英語)
初生雛鑑別師 (1923年生)
日本文化への興味 (スペイン語)
日系アルゼンチン人、三世
日本語と価値観をもとに育つ(英語)
(1925 - 2018)ハワイ出身の教育者、二世
私は日本人、ペルー人・・・私は誰?(スペイン語)
詩人、沖縄系ペルー人 (1962年生)
アメリカでの生活に再び溶け込む (英語)
日本帝国軍とアメリカ軍両方へ従軍(1928-2008)
コミュニティの若い人達を支援する (英語)
父から習った3つの教訓(英語)
ハワイのビジネスマン、開発者
収容所で姉を失くす(英語)
(1933-2014) 日系アメリカ人アニメーター