インタビュー
集団訴訟によってまとまった日系コミュニティ(英語)
(英語) 委員会(戦時民間人転住勾留委員会 -the Commission on Wartime Relocation and Internment of Civilians-)の設立は不可欠だったと強く思います。1つは単なる情報伝達の観点から、さらには政治的な見地に立った上でも、委員会の設立は大変重要な意味を持っていました。そしてそれが日系人を活気づけ、集団訴訟に向かわせたのです。また、委員会は自己誤審令状による再審裁判の基盤ともなりました。
そして最も重要な変化は、委員会の設立以後に起こった日系人コミュニティ内でのことです。様々な出来事がありますが、日系人は自分の子供たちにさえ強制収容の話をしたことがなかったわけです。でもそんな彼らが、それを機に口を開き、また多くを知るようになったのです。「なんてことだ!自分以外にも罪悪感を感じ、傷つき、そして裏切りを感じていた人たちがいたのか。そうだ、強制収容は回避できない事故ではなかったんだ。ワシントンや軍にいる人々が我々に負わせたものだったんだ。彼らはただの人だった。人であるにも関わらず、彼らの行いは人道的ではなかった。そう、私たちはごまかされ、我々日系人はみんな騙されていたんだ」と、日系人は、気付いたのです。
強制収容は、説明のつかない不測の事態ではありませんでした。政治的便宜や日系人への偏見、そして経済的利害が強制収容を引き起こした、と解釈することができるのです。Native Sons of the Golden West(カリフォルニア州生まれの白人による友愛団体)やCalifornia State Grange(カリフォルニア州農民共済組合)、American Legion (米国在郷軍人会)といった(いずれも排日運動を主導していた)団体の悪人たちが加担して行ったのが、強制収容だったのです。集団訴訟を起こさなければ、ある意味で日系人社会が1つになることはなかったでしょう。訴訟に勝つことは重要なことです。でもそれ以上に、(日系人が証言した)聴聞会を開いたことが、日系人を1つにする原動力となりました。その成果は、今日もいたるところで見ることができるのです。
日付: 1998年8月26日
場所: 米国、バージニア州
インタビュアー: ダーシー・イキ、ミッチェル・マキ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
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