https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/658/
徴兵忌避者(1925年生)
(英語) 何年も前に僕がまだ子供だった頃、父は、「ラジオをコントロールできれば・・・当時で言えばラジオと新聞もですね・・・人々の考え方までコントロールできる。」と言っていたんです。当時、僕はまだ幼なすぎて、父が何を意味してそう言っていたのか理解することはできませんでした。でも年を取るにつれ、父は正しかったと思うようになったんですね。人は新聞に書かれていることを鵜呑みにする、ということです。実際メディアはそういうことをしていますが、読み手に信じさせたい内容を記事にしてしまえば、結果的にメディアの意図通り、読み手は書かれた人に対して敵意を持つこともある訳です。僕が(徴兵拒否を)選択したことが新聞に載ったとき、ほとんどの人は僕に敵意を持ったようですけど、僕自身はすごく驚いたんですよ。というのも、あの時の徴兵について考えた時、「それは正しいことなのだろうか?」と考える人の方が多いだろうと僕は思ったからです。にも関わらず、結局僕は外国人扱いされ、敵国外国人である日本人として法の適切な手続き無しで有罪を宣告されたんです。僕はもうこれは最悪だ、と思いました。それで、1人ではどうすることもできないので、そのまま自分の信念に従っていれば、いつか人々の理解を得られるだろうと思ったんですね。でも人の見方は全く逆で、僕が徴兵から逃げている、と言われたんです。僕は、人はそんな風に考えるのかと知ってとても悲しくなりましたね。
日付: 1997年7月25日
場所: 米国、ワシントン州
インタビュアー: ラリー・ハシマ、スティーブン・フギタ
提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project
ジーン・アクツ氏は、1925年にワシントン州シアトルで生まれた、日系二世の男性です。戦前の幼少時代をシアトルの日本街で過ごしますが、(戦争が始まると)ワシントン州ピュウアラップの集合センターおよびアイダホ州ミニドカの収容所へ収容されました。徴兵を拒否したため、ワシントン州マクニール島の刑務所に徴兵拒否の罪で入れられ、(出所後は)シアトルに再び腰を落ち着けました。(1997年7月25日)
収容所を出た後、シカゴでアパートを見つけることの難しさ(英語)
ワシントン州出身の二世。ツーレレイク強制収容所へ収容後、シカゴへ再転住。(1909年生)
真珠湾攻撃の後の疑惑(英語)
ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)
第2次大戦後の人々の変化(英語)
9/11後のアメリカの雰囲気について(英語)
ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)
渡米後の祖母の差別体験(英語)
日系アメリカ人画家、版画家、教授。(1939年生)
陸軍での人種差別経験(英語)
人種的ステレオタイプを描いた作品の与える影響(英語)
公共プールでの差別経験(英語)
ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)
ピュアラップ集合センターで失った青年期の能天気さ(英語)
ほこりだらけのミニドカ収容所の記憶(英語)
徴兵拒否の決意(英語)
第二次大戦中の排日感情(英語)
カナダの一世ビジネスマン(1918年生)
真珠湾攻撃で中断された大学生活(英語)
二世ビジネスマン。Made in Oregonの店をオープン。(1921年生)
第2次戦中の就職の困難さ(英語)
戦後シカゴでの体験(英語)
組織移植・臓器移植の分野においての医療研究の第一人者。(1929年生)