ディスカバー・ニッケイロゴ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/series/itadakimasu/

ニッケイ物語 1 — いただきます!ニッケイ食文化を味わう


2012年5月3日 - 2012年11月22日

世界各地に広がるニッケイ人の多くにとって、食はニッケイ文化への結びつきが最も強く、その伝統は長年保持されてきたました。世代を経て言葉や伝統が失われる中、食を通しての文化的つながりは今でも保たれています。

このシリーズでは、「ニッケイ食文化がニッケイのアイデンティとコミュニティに及ぼす影響」というテーマで投稿されたものを紹介します。

編集委員によるお気に入り作品はこちらです。

当プロジェクトについて、詳しくはこちらをご覧ください >>


その他のニッケイ物語シリーズ >> 


アーカイブ 食品 遺産 (legacies) ニッケイ物語(シリーズ)

このシリーズのストーリー

Thumbnail for 田中おじいちゃんの巡礼者の詰め物
en
ja
es
pt
田中おじいちゃんの巡礼者の詰め物

2012年11月22日 • ジェリ・オカモト・タナカ

感謝祭は典型的なアメリカの祝日ですが、若い三世だった私は、日本人の家族​​とニューイングランドを植民地化したメイフラワー号の巡礼者との間に何らかのつながりがあるとは信じていませんでした。私は 1960 年代から 70 年代にかけて西部で育ちましたが、多様性に乏しい町が多かったため、自分が巡礼者らしくも「アメリカ人」、つまり白人であるとも感じませんでした。私は密かに、ボンネットの下にカールした毛の付いた巡礼者の黒いドレスと白いエプロンを着ることを切望していました。しかし、学校…

Thumbnail for ソーセージとアスパラガス?
en
ja
es
pt
ソーセージとアスパラガス?

2012年11月19日 • タイロン・ナガイ

この話をどのように始めましょうか。始まりは僕の祖母、日本人の方の祖母でした。正確には日系アメリカ人、日系二世の祖母は、僕の知る中で最も腕の良い料理人でした。キッチンの中で彼女よりクリエーティブな人を僕は他に知りません。僕が10代の頃、祖母はアスパラとホットドッグ用ソーセージの手作りテリヤキソース炒めを作ってくれました。それは、僕が今まで食べた中で最も美味しい料理の1つでした。祖母がその組み合わせの料理を作ってくれたのは、それが最初で最後でした。 話を少し戻しましょう。…

Thumbnail for 焼き鯖弁当としめ鯖寿司
en
ja
es
pt
焼き鯖弁当としめ鯖寿司

2012年11月16日 • キタハラ 高野 聡美

17歳になるブラジル生まれの息子は現在フロリダ州にある高校に通いながら、競技ゴルフに明け暮れている。 そんな息子も、来年ハイスクール卒業を迎えるため、この夏は進学する大学を決める天王山ということで、北米各地を旅し、ゴルフのジュニアトーナメントを渡り歩いている。ブラジルにいる時代にも10歳ごろからトーナメントに参加していたために、ブラジルの各地や、南米各地を旅行していた。 ゴルフトーナメントに欠かせないものに、宿と移動(車)の手配、そして食事の確保がある。近年車と宿はかな…

Thumbnail for 探求する:ハーフの新二世の文化理解
en
ja
es
pt
探求する:ハーフの新二世の文化理解

2012年11月14日 • コモ

私のお気に入りの大きな日本食のスーパーマーケットは、約 30 マイル離れています。通りのすぐ近くに素敵な家族経営の JA マーケットがあるので、かなり遠く感じます。でも、こういうときは、わざわざ行く価値があります。今週は北海道の食品フェアがありました。ミツワのさまざまな地域食品フェアに行くのが好きなのは、おいしい理由が 1 つあります。それは、ほとんどの場合、さまざまな地域の新鮮なかまぼこが特集されており、それぞれに特別な材料が使われているからです。あらかじめ包装されたさま…

Thumbnail for 共通のレシピを通じて絆を保つ日系ユダヤ人家族
en
ja
es
pt
共通のレシピを通じて絆を保つ日系ユダヤ人家族

2012年11月12日 • フランチェスカ・ユカリ・ビラー

私の一番古い記憶は、幼いころの丸い顔が両親の食卓を覗いている白黒画像です。キッチンから漂い、我が家の中心であるダイニングルームにまで流れ込んできた、いつまでも残る甘い香りを今でも思い出すことができます。私は好奇心旺盛な顔で目を大きく見開いて、父の大きな美術書の上に登り、私の五感と感性を温めてくれた母の日本料理とアメリカ料理を一目見ようとしていました。毎晩、彼女が優雅な手つきと優しい心で毎晩手作りした、しゃぶしゃぶやすきもの、漬物やたこ焼き、肉じゃがや煮魚などの温かい大皿料理…

Thumbnail for いただきます! おばあちゃんからの教え
en
ja
es
pt
いただきます! おばあちゃんからの教え

2012年11月9日 • モニカ・小木曽

幼い頃私は母親が毎日つくってくれていた日本食より、ミラネッサ(牛カツ)とマッシュポテトを好んでいました。食卓には、みそ汁が欠かさずでていました。父はみそ汁と一緒に食事をすることを習慣としていたのですが、私と妹は、そうした食卓をあまり好まず案外苦痛に思えたぐらいです。おそらく、毎日のことだったので飽きていたのかも知れないし、もしかすると私たちの小さな抵抗だったのかも知れません。しかし両親は、食べ残しをしてはいけないことと毎日食べることへの感謝の気持ちを、きちんと教えてくれまし…

ニッケイのストーリーを募集しています! 世界に広がるニッケイ人のストーリーを集めたこのジャーナルへ、コラムやエッセイ、フィクション、詩など投稿してください。 詳細はこちら
Discover Nikkei brandmark サイトのリニューアル ディスカバー・ニッケイウェブサイトがリニューアルされます。近日公開予定の新しい機能などリニューアルに関する最新情報をご覧ください。 詳細はこちら
このシリーズの執筆者

シルビア・ルミ・アキオカはブラジルの三世です。17歳のときに出稼ぎをし、別のときには福岡県に交換留学生として滞在し、そのときに「世界を旅するブラジル人の一年」(ポルトガル語のみ)というシリーズを出版しました。これが彼女とディスカバー・ニッケイとの初めての出会いでした。彼女は日本文化の崇拝者であり、他のテーマについてブログを書くことも好きです。彼女は2012年4月にディスカバー・ニッケイのボランティアとしてロサンゼルスに滞在し、以来6年間このプロジェクトの公式コンサルタントを務めています。

2019年2月更新


ベン・アリカワは北カリフォルニアの三世です。父方の祖父母が約100年前に果樹園で働くために定住した場所からそう遠くないところに住んでいます。ベンは最近、トゥーリー湖巡礼に参加し、そこでブラッドとジョージ・タケイに出会いました。晩年、物語を語る必要性に気づき、文学的な面を探求してきました。ベンは、JACLの受賞歴のある新聞であるパシフィック・シチズンに記事を寄稿し、ディスカバー・ニッケイにもいくつかの記事を寄稿しています。彼の物語は、日系アメリカ人、息子、夫、そして父親としての彼の経験を反映しています。また、イケイビ・フィルムズのウェブシリーズ「ゴールド・マウンテン」(2016年)の撮影監督として、また「インフィニティ」や「チャーシューラーメン」 (2013年)で俳優として、芸術的な面も探求しています。

2016年8月更新


ポップカルチャーや政治についてアジア系・日系アメリカ人の視点でブログ(www.nikkeiview.com)を書いている。また、パートナーと共に www.visualizAsian.com を立ち上げ、著名なアジア系・太平洋諸島系アメリカ人へのライブインタビューを行っている。著書には『Being Japanese American』(2004年ストーンブリッジプレス)があり、JACL理事としてパシフィック・シチズン紙の編集委員長を7年間務めた。

(2009年11月 更新)


フランチェスカ・ビラーは、受賞歴のある調査報道ジャーナリスト、政治風刺作家、作家、印刷物、ラジオ、テレビの社会評論家です。日本人とユダヤ人のバックグラウンドを持つビラーは、自身の興味深いバックグラウンドについて内省的かつユーモラスな方法で執筆しており、その作品はハフィントン・ポストCNNロサンゼルス・タイムズロサンゼルス・ユダヤ人ジャーナルその他多くの出版物に掲載されています。受賞歴には、エドワード・R・マロー賞、ゴールデン・マイク賞2回、ジャーナリズム優秀賞4回などがあります。ビラーは現在3冊の本を執筆しており、1冊目はハワイを舞台にした第442歩兵連隊に関する小説、2冊目は1970年代にロサンゼルスで日系ユダヤ人として育った経験をユーモラスにまとめたエッセイ集、3冊目はハワイ料理、日本料理、ユダヤ料理を取り入れた食生活が家族の健康で幸せを保っていることを描いたライフスタイル本です。また、現在は全国ラジオツアーを行っており、政治、ポップカルチャー、家族についてのユーモラスな見解を語っています。

2012年6月更新


ジェイミー・アサイ・フィッツジェラルドの詩は、Literary Mama、Media Cake、poeticdiversity、Snow Monkey、Speechless the Magazine 、アンソロジーHunger and Thirst、Ariel XXII 、および公共バスに掲載されています。彼女はサンディエゴ州立大学で詩の修士号を取得しています。ハワイ出身の彼女は、夫と娘とともにロサンゼルスに住み、創作作家を支援する国内最大の非営利団体Poets & Writersで働いています。

2012年10月更新


国際基督教大学を卒業後、東京の情報誌出版社勤務を経て1992年渡米。ロサンゼルスの日本語情報誌の編集長を2003年まで務めた後、同年フリーランスとして活動開始。人物取材、アメリカの教育事情、日本食事情などをテーマに取材を続け、2024年に郷里の大分に活動拠点を移す。その後もオンラインを通じて取材執筆活動に従事。ウェブサイト: https://angeleno.net 

(2024年10月 更新)


オレンジコースト大学、カリフォルニア州立大学フラトン校、横浜市立大学にて、アメリカ社会の歴史、日系人社会の歴史を含めるアジア大洋州系アメリカ人社会のを学ぶ。現在はいくつかの学会に所属しつつ、独自に日系人社会の歴史、とりわけ日系人社会と日本社会を「つなぐ」ために研究を継続している。また外国に「つながり」をもつ日本人という特殊な立場から、現在の日本社会における内向き志向、さらには排外主義の風潮に警鐘を鳴らしつつ、日本社会における多文化共生について積極的に意見を発信している。

(2016年12月 更新)  


University of Hawaii at Manoa, Shailder College of Business にて、MBAを取得。研究分野は、都市行政。ホノルルモイリイリ地区における日本人コミュ二ティ開発について研究し、修士論文では、浄土真宗本願寺派、ハワイ本派本願寺教団の組織形成と文化的継承について執筆。在学中から、仏教婦人会の活動や、日系人地域社会に密着した活動にも積極的に参加。趣味は、切手収集と消しゴムハンコ制作。

(2022年2月 更新)


ロサンゼルス生まれ、アマチ刑務所に収監され、ボストンとユタで教育を受けたリリーは、現在、夫のジョンとともにソルトレイクシティに住んでいます。彼女は 13 年間教師を務め、30 年以上ステンドグラスのビジネスを営んでいましたが、現在は半引退状態です。彼女は水彩画家であり、独創的な自伝「ガサガサガール、キャンプへ行く: 第二次世界大戦のフェンスの向こうにいる二世の若者」を執筆しており、2014 年春にユタ大学出版局から出版される予定です。

2012年8月更新


私は、幸せに引退した弁護士です。3 人の可愛いけれど要求の多い子供たちの用事を済ませたり、毎週木曜日に第二次世界大戦の二世退役軍人のために昼食を作ったり、靴下の人形やビーズのアクセサリーを作ったり、3 匹の犬、ウサギ、スキニー ピッグの後始末をしたり、レイキを学んだり、小動物が許してくれるならマッサージしたりして過ごしています。ブログを更新すべきなのに、Facebook で人の悪口を言うのにあまりにも多くの時間を費やしています。ああ、時々、呼吸をしたり、寝たり、子供たちに食事を与えたりすることも忘れません。

2013年2月更新


1950年8月8日にチリで生まれたロベルト・ヒロセは、地元の学校で教育を受けましたが、家族やチリ在住の日本人、さらにはチリを訪れた日本人からも日本の影響を受けました。チリ大学で工学の学位を取得して卒業した後、日本の文部省から奨学金を受けました。日系パンアメリカン協会、チリ日本人慈善協会、日系企業バルパライソ支部などで積極的に活動し、日本人や日系社会とのつながりを保っています。

2009年12月更新


ニューヨーク市、および南加に30年滞米、1994年、帰国し、現在北九州市に住む。 ジョアン・オッペンハイム著『 Dear Miss Breed: True Stories of the Japanese American Incarceration During World War II and a Librarian Who Made a Difference (邦題:親愛なるブリードさま -強制収容された日系二世とアメリカ人図書館司書の物語-)』の邦訳を東京・柏書房より出版。

(2012年9月 更新) 


トロイ・イシカワは異文化専門家で、プロセストレーニングとコンサルティング業務を通じて、行動、規範、価値観における文化の違いに関する問題解決を専門としています。彼の業務は、異文化間の移転可能性と文化の同等性に関する論理的順序の分解に集中しています。また、作家でもあり、家族の歴史や日系人としての経験に関する物語のプレゼンテーションを行っています。鹿児島ヘリテージクラブの会員で、世界中を旅したり、ハイキングをしたり、学習したり、エスニック料理やアジア料理を調理したりすることを楽しんでいます。

2011年10月更新


チャンダ・イシサカさんは、カリフォルニア州ロサンゼルス郡のモントレーパークで生まれ育ちました。彼女は日系アメリカ人四世であり、メキシコ系アメリカ人でもあります。イシサカさんは、6年間シアトルに住み、日系コミュニティに喜んで参加し、ミニドカ巡礼企画委員会の一員として年に一度、第二次世界大戦時の強制収容所であるアイダホ州ミニドカ収容所への巡礼を実施してきました。イシサカさんは、現在カリフォルニア州オレンジ郡在住です。

(2014年11月 更新)


ローリー・イワミはハワイのオアフ島で育ち、ニューイングランドの大学に通い、現在はサンフランシスコ湾岸地域に住む三世です。スタンフォード大学を卒業したローリーは、シリコンバレーのテクノロジー企業でマーケティングと広告に携わってきました。2010 年に、友人や家族のレシピを共有し、「アメリカ」料理の概念を広げる手段として Feeding My Ohana ( www.feedingmyohana.com ) を始めました。彼女は、Feeding My Ohana が最終的に飢えた人々に食事を提供するプログラムを支援することに貢献することを望んでいます。

2012年5月更新


亀山絵里さんは、UCLAでアジアンアメリカン研究を専攻し、「Acts of Being and Belonging: Negotiating Shin-Issei Transnational Identitie」と題した修士論文を執筆し、近年修士号を取得しました。現在亀山さんは、日系アメリカ人市民同盟(JACL)のパシフィックサウスウェスト地区で、プログラムアソシエイトとして働いています。

(2012年9月 更新) 


東京生まれ。夫の赴任地ブラジルでポルトガル語に出会う。語学学校に通いポルトガル語を学習。5年滞在後、ブラジルファンになる。現在はポルトガル語の通訳ガイドをしてポルトガル語圏の人々と国際交流している。

(2012年9月更新) 


現在は、リオデジャネイロ州立大学文学部准教授。日本語学科主任、日伯現代学術文化交流プログラムコーディネーターを務める。東京外国語大学ポルトガル・ブラジル語学科卒、筑波大学大学院修士課程地域研究研究科ラテンアメリカコース修了、日本経団連石坂泰三記念財団海外派遣奨学生、ブラジリア大学大学院社会学博士課程修了。社会学博士。リオデジャネイロ州立大学日本語学科創立メンバー。浜松市立高校インターナショナルクラス設立メンバー。国際交流基金日本語教育フェロー。在伯21年。

(2012年11月 更新)


アルゼンチンの日系二世、として大阪外大に留学し日本語と日本文化を学び、アルゼンチンと日本との文化交流事業にも関わっている。観光学士であり、通訳・翻訳業務や日本のメディアコーディネーターとしても従事している。文学作品の翻訳にも携わっている(例:水村美苗の「本格小説」を日本語からスペイン語に翻訳)。企画旅行やイベント企画も行い、日系社会のリーダーでもある。アルゼンチン日系センターの会長職を歴任し、パンアメリカン日系人協会の活動にも参加している。

日本人の両親を持つアルゼンチンの日系二世。サルバドル大学で観光学を専攻。奨学生として、大阪外国語大学日本語日本文化学科へ留学。日本語メディアのプロデューサー。文学書(水村美苗の『本格小説』)や日本人作家の童話を翻訳。訪日旅行のスペシャリストとして、人と文化をつなぐ旅行やイベントを企画。アルゼンチンやラテンアメリカで若い日系人のリーダーシップを促進している。アルゼンチン日系人センターの元会長。若手日系人リーダーのためのワークショップの元コーディネーターであり、アルゼンチンの若者たちの交流プログラム「デール」の指導者の一人。

(2024年4月 更新 )


コモは、カリフォルニア州サンマテオに住むハパ新二世です。ハワイで育ち、イリノイ大学(アーバナ・シャンペーン校)とシカゴ大学で学びました。現在はサンノゼ日系アメリカ人博物館でボランティアをしています。

2012年11月更新


エリック・マツナガのシカゴ日系アメリカ人コミュニティの歴史に関する調査は、全米日系人博物館、アルファウッドギャラリー、WBEZラジオ、ニューベリー図書館で取り上げられています。シカゴ生まれで、第二次世界大戦中にカリフォルニアから移住した日系人の子孫である彼は、インスタグラムで@windycitynikkei (「シカゴの日系アメリカ人のひと口サイズ」)をキュレーションしています。

2020年11月更新


現在91歳のエド・モレノ氏は、テレビ、新聞や雑誌などの報道関係でおよそ70年のキャリアを積み、作家、編集者、翻訳者として数々の賞を受賞してきました。彼が日本文化に傾倒するようになったのは1951年で、その熱は一向に冷める気配を見せません。現在モレノ氏は、カリフォルニア、ウェストコビナ地区のイースト・サン・ガブリエル・バレー日系コミュニティセンター(East San Gabriel Valley Japanese Community Center)の月刊誌「Newsette」で、日本や日系文化、歴史についてのコラムを連載しています。モレノ氏による記事のいくつかは、東京発の雑誌、「The East」にも掲載されています。

(2012年3月 更新)


ジーン・オダ・モイさんは、ワシントン州で生まれ、戦時中は日本で過ごしました。戦後、彼女はアメリカに戻り大学で学び、臨床ソーシャルワーカーとしてのキャリアと日本研究を組み合わせるに至りました。カリフォルニア州サニーベールでソーシャルワーカーとして長年働き、カウンセラー、ソーシャルワーカー、心理学者の育成のため、日本へも頻繁に足を運びました。また、20世紀における日本の主要作家の1人である井上靖による著書3冊、「敦煌(1978)」、「わが母の記(1982)」、「しろばんば(1991)」の日・英翻訳者でもあり、「Snow on Willow: A Nisei Memoir (2009)」は、彼女の著者です。

(2012年5月 更新) 


サンディエゴ州立大学からクリエーティブ・ライティングの修士号(MFA)を取得したタイロン・ナガイ氏は、『Fiction International』、『The Strip』、『New Verse News』、『Armageddon Buffet』等で著作を発表しています。

(2011年2月 更新) 


歴史民俗資料学博士。神奈川大学日本常民文化研究所・特別研究員。民俗学、文化史を専攻し、占いと食文化に関心を持っている。辻占という占いを調査する過程で、アメリカのフォーチュンクッキーと日本の辻占菓子の深い関係に気付いて研究中。中町泰子「辻占菓子についての一考察―運をひらく・縁をむすぶ―」『和菓子』11号 2004虎屋文庫

(2012年10月 更新) 


タミコ・ニムラ博士は、受賞歴のあるアジア系アメリカ人(サンセイ/ピナイ)のクリエイティブ・ノンフィクション作家、コミュニティジャーナリスト、パブリックヒストリー研究家です。文学への愛情、アメリカの民族学、教師やコミュニティ活動家から受け継いだ知恵、歴史を通して語るストーリーテリングが交わる学際的な空間から執筆を行っています。彼女の作品は、サンフランシスコ・クロニクルスミソニアン・マガジンオフ・アサインメント、ナラティブリー、ザ・ランパス、シアトルのインターナショナル・エグザミナーなど、さまざまな媒体や展示会で発表されています。2016年からディスカバー・ニッケイに定期的に寄稿しています。現在、回想録「 A Place For What We Lose: A Daughter's Return to Tule Lake」を執筆中です。


2024年10月更新


バーバラ・ニシモトさんは、シカゴで生まれ、シカゴ西部の郊外で育ちました。彼女の両親は、サンホアキン・バレー(カリフォルニア州)で育ち、アーカンソー州ローワー強制収容所で収容されていました。バーバラさんは、現在テネシー州ナッシュビル在住です。 

(2012年9月 更新) 


アマランス ローズはメキシコの田舎の太平洋沿岸に住んでいます。彼女と夫は 100 種類以上の熱帯果樹を栽培する有機農場を経営しています。庭で採れた野菜を料理したり、絵を描いたり、俳句を詠んだりするのが好きです。
slowlivingfarm.blogspot.com

2011年11月更新


東京生まれの坂本ゆかりさんは、The Little Bookroom 社から出版された「Food Sake Tokyo」の著者で、Terroir Guides の一部として出版されています。フランス料理学校を卒業したゆかりさんは、ソムリエと焼酎アドバイザーでもあります。彼女の夫は日本の魚屋で、築地市場の元バイヤーです。坂本ゆかりさんは、8 年間森の池の学部長を務めました。

2012年10月更新


プラジャアンチャ大学多言語観光経営学の責任者であり教員でもあり、バルパライソ地域の日系人会の会長でもある。国家女性局の地域局長、地域政府の総務部長、観光局の地域局長、そしてバルパライソ市の市議員を歴任した。

(2012年10月 更新) 


日本移民のゆかりの地と知られているバストス生まれ。娘2人、息子2人の母親で、目に入れても痛くない孫が3人。料理するより食べる方が好き。末っ子の息子はおばあちゃんの影響か、料理上手でグルメ。毎年、庭の桜の開花を待ち望んでいる。18歳からクリスチャンであり、賛美歌を歌うのが一番のしあわせ。

(2012年9月 更新) 


大学講師、教授法の専門家。二世のタケダ氏は、チリ南部で生まれ育ちました。6年間、Socidade Beneficente Japonesa(SJB)のディレクターとして、またSJBの機関誌、”Informativo Nikkei"のライターとして従事しました。主な著書としては、全米日系博物館、アケミ・キクムラ=ヤノ編、『アメリカ大陸日系人百科事典』の第6章「チリの日本人移民と日系チリ人」、Japoneses Chilenos – Primera Mitad del Siglo XX(2006)がある。未刊行のものとしては、Nikkei Chilenos – Segunda Mitad del Siglo XX、小説 El Nikkei – A la Sombra del Samurai がある。

(2012年11月 更新)


マーシャ・タケダ・モリソンは、ロサンゼルス在住の作家兼アートディレクターで、コーヒーを大量に飲みます。彼女の執筆は、ロサンゼルス・タイムズ、ペアレンツ、ジェンラックス、ニッチ、Mom.com、その他のライフスタイル、教育、子育て関連の出版物に掲載されています。また、ポップカルチャーも取り上げており、パリス・ヒルトン、ジェシカ・アルバ、キム・カーダシアンなどのインタビューも行っています。ハリウッドで多くの時間を過ごしていますが、整形手術を受けたことも、俳優の子供を出産したことも、リアリティ番組に出演したこともありません。今のところは。

2023年5月更新


マリ・タケタは、食欲旺盛なだけでなく、意見もはっきりしている熱心な食いしん坊です。彼女は、メトロミックス・ホノルルとホノルル・アドバタイザーのTGIFで、近所の家族経営の店からエスニック料理店、高級レストランまで、ホノルルの飲食シーンを取材してきました。それ以前は、ハワイ・ビジネス誌の編集長やAP通信の記者兼編集者などのジャーナリストとしてのキャリアを終えた後、ベトナム、スコットランド、日本で生活、旅行、または仕事しながら食べ歩きました。彼女の目標は、常にもっと食べたいという気持ちを持ち、次の角を曲がった先に何があるのか​​を常に知りたいと思うことです。

2012年11月更新


ジャニス・D・タナカはコミュニケーションの専門家であり、映画製作者、教育者でもあります。1970年代の三世の自殺を描いた受賞作「When You're Smiling」など、数々の高く評価されているドキュメンタリーの脚本とプロデュースを手掛けています。彼女は、Keiro Senior Healthcare、アジア太平洋系アメリカ人法律センター、USCアジア太平洋同窓会などのクライアントのために、プロデュースを続けています。彼女の最新のドキュメンタリー「Growing Success」は、カリフォルニア州オックスナードの日系アメリカ人農家の歴史と農業への貢献を記録しています。

2012年8月更新


ジェリ・オカモト・タナカさんは日系アメリカ人三世で、両親はワイオミング州農村部の出身。自身の家族史やコロラド、ネバダ、モンタナ、オレゴン、カリフォルニアで過ごした幼少期、養母としての経験やコミュニティ・ボランティアとしての活動をもとに執筆活動を行っている。また、リトルトーキョーサービスセンターの役員の他、カリフォルニア大学ロサンゼルス校の中国からの養子や孤児の支援プログラム、China Care Bruins Youth Mentorship Programのアドバイザー兼ペアレント・コーディネーターも務めている。現在ロサンゼルス在住。また、ジェリさんが執筆した記事は、以下雑誌および書籍に掲載されています。雑誌:Adoptive Families magazine, Guidepost's Joys of Christmas, The Sun, Loyola of Los Angeles Law Review, Journal of Families with Children from China, OCA Image, UCLA Chinese Cultural Dance Dragonfly Quarterly, China Care Foundation's Care Package; 書籍:Kicking in the Wall:  A Year of Writing Exercises, Prompts & Quotes to Help You Break Through Your Blocks and Reach Your Writing Goals

(2015年9月 更新) 


ビル・ティアニーは、スタンダップ・コメディアン、フーガシエ、フラヌールです。彼は自身のブログ「Eggs in Purgatory」を執筆し、ペンネームpierino 」で Food52 に寄稿しています。カリフォルニアのセントラルコースト在住で、食べ物や旅行について執筆し、パソ・ロブレスで料理教室を開講しています。

2012年10月更新


フランシス・カイファ・ワンは、カリフォルニア出身の2世中国系アメリカ人で、現在はミシガンとハワイ島を行き来しています。彼女は、 New America MediaのEthnoblogChicagoistheworld.orgPacificCitizen.orgInCultureParent.comの寄稿者です。彼女は、ミシガン大学とミシガン大学ディアボーン校でアジア太平洋系アメリカ人の歴史と法律を教えています。また、ライティングを教えており、アジア太平洋系アメリカ人と多文化問題に関する人気講演者でもあります。

彼女の Web サイトfranceskaihwawang.com 、ブログfranceskaihwawang.blogspot.comおよびrememberingvincentchin.com をご覧ください。連絡先はfkwang888@gmail.comです。

*写真はマーク・ビアレク氏による

2012年10月更新


レイチェル・ヤマグチはカリフォルニア州パサデナで生まれ育った三世です。カリフォルニア大学ロサンゼルス校で歴史の学士号を取得し、カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校で中等社会科学の教員資格を取得しました。5 年生の頃から執筆を楽しんでおり、現在は第 442 連隊戦闘団とコロラド州アマチの戦争移住キャンプに関する 2 つの関連小説の代理人を探しています。現在は忠実な相棒であるビーグル犬のシェルビーとともにカリフォルニア州プラセンティアに住んでいます。

2012年6月更新


東京都出身。1993年よりニューヨーク在住。『エスクァイア日本版』の特派員を務めたほか、語学、アート、メディア、人種問題などについて誌紙に執筆。アメリカに移ってから、西海岸とニューヨークに住んでいた大伯母について知らされたのを契機に、その足跡を調査中。主な著書:『ニューヨーク発・生録英語』、共編著:『笑われる日本人』

(2012年10月 更新) 


マイグレーション研究会前会長。社会学博士。関西学院大学名誉教授。社会学(コミュニティ論)専攻。日系アメリカ人の諸 問題をコミュニティの視点から研究している。主な著書 『都市コミュニティとエスニシティ』(1997、ミネルヴァ書房)、『阪神・淡路大震災の社会 学』(共編著、全3巻、1999、昭和堂)、『地域生活の社会学』(2001、関西学院大学出版会)、など。

(2012年9月 更新)

ディスカバー・ニッケイからのお知らせ

ニッケイ人の名前2
お気に入り作品に投票してください!
読んだ作品の中で一番気に入ったストーリーに星を投票し、コミュニティのお気に入り作品を一緒に選びましょう!
NIMA VOICES
Episode 17
November 12
5pm PDT | 7pm PET
Featured Nima:
Graciela Nakachi
Guest Host:
Enrique Higa

Presented in Spanish
新しいSNSアカウント
インスタ始めました!
@discovernikkeiへのフォローお願いします。新しいサイトのコンテンツやイベント情報、その他お知らせなどなど配信します!