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第19回(後編) 県人会による日本人の結束

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山口県出身者の活躍と訃報

① 岡村正一・大島郡安下庄(あげのしょう)村出身

「日商社会部長、岡村正一氏死亡」(1939年6月28日号1

『北米時事』1939年6月28日

「グランドユニオン洗濯株式会社社長、岡村正一氏は脳溢血を起してから静養につとめ励んで常勤に復し活動中であったが三月頃から再び健康を害し自宅にて療養中の處、今朝12時45分自宅にて死亡した。今回が三回目の脳溢血で、享年63歳。同氏は山口県大島郡安下庄村出身、16歳にて渡米し、数年ならずしてイーグル洗濯会社支配人となり他の一洗濯会社と合同、グランドユニオン・ランドリー会社を組織するに当り、選ばれて社長となり今日に及んで居るが、その間日商を始め、各種公共団体のために活動し、現在は日商社会部長であった。同氏は円満、福徳稀に見る人格者だった」

「会葬者堂に溢れ岡村さんの盛葬」(1939年7月3日号)

「グランドユニオン・洗濯会社岡村正一氏の葬儀は一昨日土曜日午後8時より仏教会にて執行された。(中略)上南菊三氏の司会、中川頼覚氏の故人略歴、友人総代、星出惣吉氏、早稲田野球倶楽部代表、佐々木アーサー氏、日本人洗濯業組合代表、岩名常次郎氏、ダイウオーク組合代表、今村勝氏、山口ジュニア代表、青木次郎氏、仏教会代表、井上安三氏、防長海協代表、近村改蔵氏、日商代表三原源治氏の弔辞、(中略)伊東忠三郎氏の謝辞あり。会葬者500名に近く最近にない盛葬であった」

岡村正一氏は前述の山口県人会長を伊東忠三郎氏から引き継ぎ、また日商の社会部長として活躍中だった。外務省の調査によると岡村正一氏の経営するグランドユニオン洗濯株式会社は、1913年に従業員120人、売上げは11万5千ドル(当時の日本円で23万円、現在に置き換えると約2億3千万円)だった。

② 吉田龍之輔(熊毛郡上関村出身)

吉田龍之輔(1938年頃)

ジム・ヨシダの父親の吉田龍之輔は、前回お伝えしたように柔道道場「天徳館」の評議員や前述の山口県人会の理事を務めていた。添付の吉田龍之輔が大きな鮭を釣った写真は、筆者の父、與(あたえ)が所有していたもので、1938年頃に撮影されたものと推測される。

「吉田龍之輔氏死亡」(1939年12月20日号)

「山口県人、吉田龍之輔氏はグランド・セントラル・ホテル下で床屋と洗濯業に従事して来たが、今朝4時狭心症にて死去された」

この記事の横に吉田克己(ジム・ヨシダの日本人名)より葬儀日程は決まり次第通知するという広告が掲載された。また、吉田龍之輔氏の亡くなった時の様子は『ジム・吉田の二つの祖国』の中に克明に書かれている。

「吉田龍之輔氏葬儀案内」(1939年12月23日号)

「葬儀:12月27日19時30分仏教会、喪主、吉田克己 在日本親戚、吉田才助、新舛與、友人総代、伊東忠三郎」

筆者の父、與は龍之輔叔父の訃報を聞き、自身の手記に非常に悲しんだことが記されていた。與は葬儀に親戚として参列していた。

「故吉田龍之輔氏葬儀」(1939年12月28日号)

「故吉田龍之輔氏の葬儀は昨夕7時半より仏教会に於て営まれた。会葬者260名にて頗る盛葬であった。霊前には各団体初め其他無数の供花にて飾られ、市川開教使の読経後一同線香を終へ、個人略歴、並びに弔電朗読、沖山栄繁、弔辞友人代表、伊東忠三郎、理髪業組合、原實三、洗濯業組合代表、岩名常次郎、天徳会父兄代表、川船和夫、山口県海外協会、近村改蔵、遺族親戚を代表して吉田春一が謝辞を述べ、式後記念撮影して午後9時半閉会となった」


郷里送金

海外へ移住した多くの日本人は、海外で稼いだお金のほとんどを故郷に送金した。日本人は困窮した日本本土の家族へ送金することが第一義であった。

「広島県より派遣の移民視察員渡米」(1918年1月17日号)

「外国へ最も多く移民を出来て居る県は何と言っても広島県が第一だが、同県の内でも安芸郡仁保村が一番多いそうである。即ち現在に於ける同村の海外移民数は、ハワイ3350人、北米850人、南米730人、清国、其の他南洋諸島160人、合計5000余名の多きを算し、毎年これ等の移民から本国に送金する額は平均年間20万ドル(当時の日本円で約40万円、現在に置き換えると約4億円)の多額に昇る。同村の人口は19500人と比較すると一軒から平均二人の移民を海外に送って居る。

今回同村から海外移民の状態を観察し併せて多年外国で奮闘して居るこれ等勇敢なる健児を慰問せんが為、助役浜井正氏を北米に派することゝなった。同氏は昨年10月22日郷里出発し、11月5日ホノルルに到着。(中略)同氏はサンフランシスコ、ロサンゼルス視察後北上してポートランド、シアトル地方を視察する予定」

『北米年鑑』1928年によると、1925年の在米日本人の郷里送金は1400万円(現在に置き換えると約140億円)で、内広島県は170万円(現在に置き換えると約17億円)、山口県は99万円(現在に置き換えると約10億円)だった。

「在米同胞の昨年度故国送金、700万ドル」(1940年3月15日号)

『北米時事』1940年3月15日

「在米同胞の昨年中、故国に送金した金額は700万ドルに及ぶといふことがワシントン商務省の調査によって判明した。即ち商務省の調査によると、昨年度米国から海外へ流出した金額、1億3700万ドルの内、1億200万ドルは米国在住外人の故国向け送金(献金始め各個人の郷里送金の合計)でこれは前年度の1億5000万ドルに対し一割の減少を示してゐるが、その中日本人の故国送金のみは前年とほぼ同額の700万ドルと見積もられるが在米各外国人の送金金額を見ると左の如くである。

▲日本人700万ドル▲支那人3,500万ドル▲イタリア人1500万ドル▲ギリシャ人2000万ドル▲スエーデン人400万ドル▲ノルウェー人200万ドル▲アイルランド人1100万ドル▲フィンランド人200万ドル(中略)尚右送金総額1億ドルの内3000万ドルは郵便為替で送られたと言はれてゐる」

この記事によると米国在住日本人の故国送金額は1938、39年共に700万ドルで当時の日本円で約2500万円となり、現在に置き換えると約250億円に達する。アメリカへの移民が日本に大きな貢献をしていることがわかる。

シアトル在留日本人は出身県に対する思いが非常に強く、郷里送金や災害時の支援など、地元への貢献に非常に力を注いでいたことがわかる。

次回はシアトル在留日本人を支えた日本人会の活動についてお伝えしたい。 

(*記事からの抜粋は、原文からの要約、旧字体から新字体への変更を含む)

注釈:

1.特別な記載がない限り、すべて『北米時事』からの引用。

参考文献

加藤十四郎『在米同胞発展史』博文社、1908年
『北米年鑑』北米時事社、1928年
在米日本人会事蹟保存部編『在米日本人史』在米日本人会、1940年
ジム・吉田、ビル・細川『ジム・吉田の二つの祖国』文化出版局、1977年

 

*本稿は、『北米報知(2022年10月31日)からの転載。

 

© 2022 Ikuo Shinmasu

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このシリーズについて

北米報知財団とワシントン大学スザロ図書館による共同プロジェクトで行われた『北米時事』のオンライン・アーカイブから古記事を調査し、戦前のシアトル日系移民コミュニティーの歴史を探る連載。このシリーズの英語版は、『北米報知』とディスカバーニッケイとの共同発行記事になります。

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『北米時事』について 

鹿児島県出身の隈元清を発行人として、1902年9月1日創刊。最盛期にはポートランド、ロサンゼルス、サンフランシスコ、スポケーン、バンクーバー、東京に通信員を持ち、約9千部を日刊発行していた。日米開戦を受けて、当時の発行人だった有馬純雄がFBI検挙され、日系人強制収容が始まった1942年3月14日に廃刊。終戦後、本紙『北米報知』として再生した。

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執筆者について

山口県上関町出身。1974年に神戸所在の帝国酸素株式会社(現在の日本エア・リキード合同会社)に入社し、2015年定年退職。その後、日本大学通信教育部の史学専攻で祖父のシアトル移民について研究。卒業論文の一部を日英両言語で北米報知とディスカバーニッケイで「新舛與右衛門― 祖父が生きたシアトル」として連載した。神奈川県逗子市に妻、長男と暮らす。

(2021年8月 更新)

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